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奈良の晩春
ならのばんしゅん
作品ID60025
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第8巻」 臨川書店
1998(平成10)年10月10日
入力者杉浦鳥見
校正者持田和踏
公開 / 更新2024-05-06 / 2024-05-01
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 花はおほかた散りうせて、名にし負ふ八重桜は僅かに残つてゐるけれども、かうなると花ももう汚い。さうして藤にはまだ早い。
 さういふ季節の奈良の山のなかを(確かに山中と呼ばなければいけない)われらは月日亭から春日さまの方へ通り抜けて行く。潺湲たる流れがあり、木の間洩る日の光は新鮮である。朗かに幽かな山鳥の声がある。さうしてわれらの外にはとほる人もない。われらといふのは僕の夫妻と、それに谷崎潤一郎である。僕らは彼を案内役にして、汽車の出るまでの三時間ほどを散歩がてらにそこらを見物しようといふのである。僕は以前に二度こゝへ遊んだことがある。妻は始めてゞある。聞けば志賀直哉氏はこゝに永住するつもりで、高畑に四百坪ほどの土地を求め得たさうである。かういふ散歩区を持つことが出来る志賀氏を羨まずにはゐられない。僕も画描きにでもなつて、この土地に住んでみたいやうな気がして来た。
 谷崎は春日神社でお神楽を見ようといふ。神楽そのものよりも巫女のなかにひとり、水谷八重子に似たのがゐると聞いてゐるので、谷崎はその美しい巫女を僕たちに見せるつもりであつたらしい。いや、彼自身も噂だけでまだ見たことはないといふのだから、自分でも見たかつたに違ひない。
 その巫女といふのは画家某氏のところへ浄瑠璃をならひに来るので、年はまだ若いから、語る文句のなかにエロテイツクなことなどがあつても十分に意を解しない。さうして、熱心に顔の表情を動かしながらそれを語るのが、なか/\風情があるとのことである。
「――それを、志賀氏のところへ酒を持つて来たといふ印度人が嫁に欲しがつてゐるのださうだがね」

 志賀氏のところへはその前夜、谷崎とふたりで訪問した。夜半まで話し込んで来たのだが、僕は志賀氏には十二三年も以前に一度お目にかゝつた事があるきりで、しかしその後両三度の文通もあり、またいつも念頭にある人のことだから久しぶりであればあるほど、この訪問は楽しかつた。以前には志賀氏には気がおけて遠慮がちだつたが、今度はそんな事は少しもなかつた。僕のせゐばかりでもない。志賀氏も非常に円熟してゐて、だから客をくつろがせてくれたのだといふ気がする。さういへば前にお目にかゝつた時には、志賀氏は今の僕自身よりもまだ三つ四つも若かつたはずなのだ。ふと、人生の怱忙を感じた。(昨夜、そのお宅からの帰りがけに人力車の上での事)その志賀氏のところで洋酒を二三杯御馳走になつた。瓶が三四種あつた。志賀氏はそれを到来物のもののやうにいはれた。さうしてそれを持つて来た人物について谷崎と何か噂をしてゐた。僕の知らない人であつたがそれが印度人で、大阪か神戸あたりで、ダンスホールみたやうなものを経営したく思つてゐる人だといふことが、噂の模様で僕にもわかつてゐた。

 春日の巫女が活動女優に似てゐるのもいいが、その巫女を印度人が懸想するのも実に面白い…

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