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勲章
くんしょう |
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作品ID | 60032 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「雨瀟瀟・雪解 他七篇」 岩波文庫、岩波書店 1987(昭和62)年10月16日 |
初出 | 「新星 第二巻第一号」新生社、1946(昭和21)年1月1日 |
入力者 | 入江幹夫 |
校正者 | 朱 |
公開 / 更新 | 2023-12-03 / 2023-11-26 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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寄席、芝居。何に限らず興行物の楽屋には舞台へ出る芸人や、舞台の裏で働いている人たちを目あてにしてそれよりもまた更に果敢い渡世をしているものが大勢出入をしている。
わたくしが日頃行き馴れた浅草公園六区の曲角に立っていた彼のオペラ館の楽屋で、名も知らなければ、何処から来るともわからない丼飯屋の爺さんが、その達者であった時の最後の面影を写真にうつしてやった事があった。
爺さんはその時、写真なんてエものは一度もとって見たことがねえんだヨと、大層よろこんで、日頃の無愛想には似ず、幾度となく有りがとうを繰返したのであったが、それがその人の一生涯の恐らく最終の感激であった。写真の焼付ができ上った時には、爺さんは人知れず何処かで死んでいたらしかった。楽屋の人たちはその事すら、わたくしに質問されて、初て気がついたらしく思われたくらいであった。
その日わたくしはどういう訳で、わざわざカメラを提げて公園のレヴュー小屋なんぞへ出掛けたのか。それはその頃三の輪辺の或寺に残っていた墓碣の中で、寺が引払いにならない中に、是非とも撮影して置きたいと思っていたものがあったためで。わたくしはその仕事をすましてからの帰途、ぶらぶら公園を通過ぎて、ふと池の縁に立っているオペラ館の楽屋口へ這入って見たのだ。
楽屋口へ這入ると「今日終演後ヴァラエテー第二景第三景練習にかかります。」だの、何だのと、さまざまな掲示の貼出してある板壁に沿い、すぐに塵芥だらけな危ッかしい階段が突立っている。それを上ると、狭い短い廊下の真中に、寒中でも破れた扉の開け放しになった踊子の大部屋。廊下の片隅にこの一座の中では一番名の高い芸人の部屋があり、他の片隅には流行唄をうたう声楽家の部屋。また一階上へあがると、男の芸人が大勢雑居している。ここではこれを青年部と称えていて、絶えずどたばた撲り合の喧嘩がある。しかしわたくしがこの楽屋をおとずれる時、入って休むところは座頭の部屋でもなく、声楽家の控所でもなく、わかい踊子がごろごろ寝そべっている大部屋に限られている。
踊子の部屋へは警察署の訓示があって、外部の男はいかなる用件があっても、出入はできない事になっている。然るにわたくしばかりはいつでも断りなく、ずかずか入り込むのであるが、楽屋中誰一人これを咎めるものも、怪しむものもない。これには何か訳がありそうなはずである。しかしわたくしは茲に仔細らしく、わたくしばかりが唯一人、木戸御免の特権を得ている事について、この劇場とわたくしとの関係やら何やらを自慢らしく述立てる必要はないだろう。わたくしがそもそも最初にこの劇場の楽屋へ入り込んだ時、わたくしの年齢は既に耳順に達していた。それだから、半裸体の女が幾人となくごろごろ寐転がっている部屋へ、無断で闖入しても、風紀を紊乱することの出来るような体力は既に持合していないものと、見做されて…