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探偵小説作家の表現力
たんていしょうせつさっかのひょうげんりょく
作品ID60034
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第24巻」 臨川書店
2000(平成12)年2月10日
初出「探偵作家クラブ会報 第六四号」探偵作家クラブ、1952(昭和27)年9月1日
入力者よしの
校正者
公開 / 更新2024-04-09 / 2024-04-03
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この間一人の客の話に、先日探偵小説家の年間作品集を通読して巻末に附録した井上靖氏の一作に及んで井上氏の表現力と他の探偵小説家のそれとの雲泥も啻ならぬ差違に唖然とした。井上氏のその作は同氏としてはむしろ出来の悪いものであつたのに、なまなかそれが附録されてゐたために折角の探偵小説作家諸氏の作品が見劣りしたのは惜しい。といふのであつた。自分はこの頃久しく探偵小説を見ないでゐるし、その年間作品集も見てゐないから、この客人の話が果してどれくらい本当か、判らないが、もしそれが本当とすれば、甚だ遣憾な[#「遣憾な」はママ]話だと思つた。
 自分は探偵小説作家に欠くべからざる二つの注文として、先づ異常な筆力と次に博識とを要求してゐるものである。構想のためには多方面の知識を、表現のためには異常な筆力をといふわけである。犯罪を描き、その心理と機構の機微を活写するためには前述の二つのものが車の両輌の如く必要欠くべからざるものである事は別に縷説するまでもあるまい。
 異常な事件を納得の行くやうに描破するためには異常に活動的な生きのいい筆を持たねばならない。複雑な機構を得心させるためには簡潔で要領のいゝ筆を持たないではならない。合理的ロマンティシズムたる探偵小説、推理小説といふものは霊活な筆端からだけしか生れないものなのである。
 無から有を生じさせる筆力。幻を実体であつたと説得する筆力。それ無しに探偵小説、怪異小説がどうして出来るだらうか。探偵小説が筆力だけで出来ると云つては云ひすぎであらうが、これなくては出来ないといふ位なら何人にも賛成して貰へると思ふ。ポーの奇想にしたところであの一種特有の魔力を備へた含蓄のある心理的な筆致がなかつたならば終に文字の芸術とはならなかつたであらう。
 目前普通の事象を写し出すなら、虫の這ふやうな辿々しい筆でも或は及ばぬでもあるまい。非常の事を記すには勾々躍動し、言々飛動する筆を持たなければならない。しかもそれが冷静な思索を伴つた沈静に簡潔な半面がなければならないとあつては天下容易のものではないのである。
 たどたどしい筆では犯罪の行はれる屋内の部屋の間取一つだつて満足に描けはしない。
 少し逆説的に云へば、簡潔に霊活な筆力さへ持つてゐれば、一片の思ひつきだけでも、異常な作品は出来ないではあるまい。と申して筆力だけで書いてはどんな作品に拘はらず邪道たる事は無論申すまでもないが、
 情景を活躍させるだけの溌溂たる筆力なく、分析を説破するだけの魄力ある筆致なくては所詮第一級の探偵小説作家たる事は不可能だとあきらめて、むしろ風俗小説の作者にでもなるがよからう。
 ポーのやうな異常霊活な筆力は特別な天才にのみ要求さるべきものだといふならば、せめてはコナン・ドイルのやうな用意周到に淡々として滋味の溢れる筆致でもよい。
 奇道によると正道を選ぶとは人格の気質で…

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