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二つの愛国型
ふたつのあいこくがた
作品ID60035
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第35巻」 臨川書店
2001(平成13)年4月9日
初出「報知新聞」1940(昭和15)年10月23~25日
入力者よしの
校正者
公開 / 更新2022-10-02 / 2022-09-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一)

 愛国の精神に二つはない。しかしその現れは千差万別人さまざまである。たとへばその根も幹も一つでありながら各の枝にさく一つ一つの花がつくづくと見るとそれぞれ多少の相違があるやうなものであらう。
 あまりに複雑な差別はさて置いて、およそ二つの型が見られよう。自国の長所と美点とを誇り喜び心酔してゐるとも見るべき、いはゞごく素朴にすなほな型の愛国者で在来の役人や軍人、教育家など普通に愛国者と認められてゐるのがそれである。
 これに対して一方には少々ひねくれた愛国型があるものである。自国に対して不満や不平を抱いて、それが愛国の至誠から出てゐることを自ら疑ひもしないから、さながらに愛するものを鞭打つやうに、彼等は一見非愛国的に見誤られる不幸な愛国者である。
 在来は文学者や一般の知識人の愛国精神がこの型をとつて現れてゐた。さうして健全な素直な愛国者から、このひねくれ型の複雑な愛国者は非国民的に取扱はれてゐたものである。今日でもどうかすると、この第二の型は自由主義者が御時世に対応しようとして迷彩してゐるだけだと見誤られる惧がありさうである。すべて原則としてひねくれたよりは素直な方がいいのだから、相成るべくは誤解を避けるためにも畸形な愛国型を自粛する方が適当なことは申すまでもない。一方、素直な型の愛国者に対しては、その原始型だけが唯一の愛国者でないことも知つて置いて貰ひ度い。
 愛国型の統制もまた必要には相違ないが、国民服にも二三の型を認めてゐるやうに、愛国者の型にも一号、二号のあることを言つて、ひねくれた型の愛国者が単に有害なだけでなく、文明の推進力として案外有用な素材であることを認めてほしいと年来考へてゐたが、近来になつて理解も多少は深められて来てゐるやうに見受けられるし、愛国精神を具体化するための骨骸ともなるべき国策も明かになつてゐるのに鑑み、文学者、知識人の愛国も出来るだけ素朴明朗に透明な現れとなつた方が推進力としても役立つものであらうと考察する。
 しかし、これだけの自覚に基づきながらにも、どうしても畸形な変貌をとらなければならない困つた愛国精神がまだ絶無ではあるまいといふ懸念も起る。文化が複雑になればなるほどさまざまな精神状態やそれに伴なふ形態が生れるものだからである。将来のことは未然の事象だから例を挙げて述べにくい。過去にその例を求めることは至難ではないが、過去のことは今日の問題にはならないかも知れない。しかし故を温ねて新しきを知る一助ともしようか。

(二)

 永井荷風は、いかなる意味でも新体制の人物ではない。全く過去の史上の人物と見る方があらゆる意味で安全である。ここにこの名前を引出して来ることさへ荷風散士にとつては迷惑至極のことと思ふ。彼こそは自由主義、個人主義時代の日本を代表する唯一の文学者であるだけに現代の時勢には最も適応しにくい文学者に…

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