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子供の世界
こどものせかい
作品ID60073
著者有島 武郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「有島武郎全集第九卷」 筑摩書房
1981(昭和56)年4月30日
初出「報知新聞」1922(大正11)年5月6日~7日
入力者きりんの手紙
校正者木村杏実
公開 / 更新2021-06-09 / 2021-05-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の父が亡くなる少し前に(お前これから重要な問題となるものはどんな問題だと思ふ?)と一種の眞面目さを以て私に尋ねたことがある。それは父にとつて或種の謎であつた私の將來を、私の返答によつて察しようとしたものであつたらしい。その時私は父に答へて、勞働問題と婦人問題と小兒問題とが、最も重要な問題になるであらうと答へたのを記憶する。
 勞働問題と婦人問題とは、前から既に問題となりつゝあつたけれども、小兒の問題はまだほんとうに問題として論議せられてゐないかに考へられる。しかしながら、この問題は前の二問題と同じ程の重さを以て考へられねばならぬ問題だと私は考へる。
 私たちは成長するに從つて、子供の心から次第に遠ざかつてゆく。これは止むを得ないことである。しかしながら、今迄はこの止むを得ないといふことにすら、注意を拂はないで、そのまゝの心で子供に臨んでゐた。子供の世界が獨立した一つの世界であるとして考へられずに大人の世界の極小さな一部分として考へられてゐたが故に、我々が子供の世界の處理をする場合にも、全く大人の立場から天降り的に、その處理をしてゐたやうに見える。この誤つた方針は、子供の世界の隅々にまで行き渡つた。家庭の間に於ける親子の關係に於ても、學校に於ける師弟の關係に於ても、社會生活に於ける成員としての關係に於ても、この僻見は容赦なく採用された。すべてが大人の世界に都合がいゝ樣に仕向けられた。さうして子供たちはその異邦の中にあつて、不自然なぎごちない成長を遂げねばならなかつた。かくして子供は、自分より一代前の大人たちが抱いてゐる習慣や觀念や思想を、そのまゝ鵜呑みにさせられた。かくの如き不自然な生活の結果が、どうなつたかといふことは、ちよつと目立つて表れてはゐないやうにも見える。なぜならば、かくの如き子供虐待の歴史は、非常に長く續いたのであるから、人々はその結果に對して、殆ど無頓着になつてしまつてゐるのだ。
 しかしながら、誰でも自分の幼年時代を囘顧するならば、そこに成長してまでも、消えずに殘つてゐるさま/″\な忌まはしい記憶をとり出すことが出來るだらう。若しあの時代にあゝいふ事がなかつたならば、現在の自分は現在のやうな自分ではなく、もつと勝れた自分であり得たかも知れないといふやうな記憶がよみがへつて來るだらう。
 もとより、この地上生活は、大體に於て、大人殊に成人した男子によつて導かれてゐるものだから、他の世界の人々が或る程度まで、それに適應して行くのは止むを得ない事ではある。しかしながら、從來の大人の專横は餘りに際限がなさすぎた。そのために、もつと姿を變へて進んで行くべきであつた人類の歴史は、思ひの外に停滯せねばならなかつた。一つの小さな例をとつて見ると、キリスト教會の日曜學校の教育の如きがそれである。子供の心には大人が感ずるやうな祷りの氣分は、まだ生れてはゐない…

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