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「晩年」によせて
「ばんねん」によせて
作品ID60085
著者小山 清
文字遣い新字旧仮名
底本 「小山清全集」 筑摩書房
1999(平成11)年11月10日
初出「太宰治全集 第一巻付録月報1」筑摩書房、1957(昭和32)年10月25日
入力者時雨
校正者びーどる
公開 / 更新2021-06-19 / 2021-05-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一昨年(昭和三十年)の夏、私は筑摩書房発行の日本文学アルバムの仕事で太宰治の写真帳をつくるために、はじめて津軽を旅行した。青森に着いて県庁に太宰さんの兄さんの津島文治氏をたづねた際に、文治氏は、「魚服記」に書いてある滝は、金木町から少しはなれた処にある「藤の滝」といふのがどうもそれらしいと注意をしてくれた。私は藤の滝のことは太宰さんの甥にあたる津島一雄氏から話をきいて承知してゐた。
 金木では森林鉄道を利用させてもらつて藤の滝のある処にゆき撮影した。太宰さんの生ひ立ちの記である「思ひ出」の冒頭に、「……私は叔母とふたりで私の村から二里ほどはなれた或る村の親類の家へ行き、そこで見た滝を忘れない。滝は村にちかい山の中にあつた。青々と苔の生えた崖から幅の広い滝がしろく落ちてゐた。知らない男の人の肩車に乗つて私はそれを眺めた。何かの社が傍にあつて、その男の人が私にそこのさまざまな絵馬を見せたが、私は段々とさびしくなつて、がちゃ、がちゃ、と泣いた。私は叔母をがちゃと呼んでゐたのである」といふくだりがあるが、この滝がやはり藤の滝ではないかと思ふ。撮影しに行つた際、私達はそこで弁当をつかつたが、傍にはやはり何かの社といふよりは祠があつて、いまも遊山の人が来るらしい形跡が見えた。
 藤の滝は馬禿山の裏側にあるのだが、馬禿山はその表側を遠望したところを撮影した。中腹の一部が禿げて赤土の崖になつてゐるのが写真にも写つてゐる。この禿は「魚服記」によれば、むかしはこのへん一帯はひろびろした海で、亡命した義経主従がはるか蝦夷の土地へ渡らうとして船でとほつた際、その船がこの山脈に衝突した跡だといふことである。
「ロマネスク」の中の「仙術太郎」はやはり金木村が舞台になつてゐるが、それに出てくる湯流山といふのは、高流山のことであらう。高流山は金木町から一里ほど東にある、二百米足らずのなだらかな小山である。私達は高流山から岩木山と津軽平野を遠望した風景を写した。この写真もアルバムに収めてある。
「めくら草紙」には船橋の住居のことが書いてある。私達は津軽に行く前に船橋に行つて、現存してゐるその家を撮影した。「めくら草紙」に出てくる夾竹桃は健在で、私達が行つたときには丁度花をつけてゐた。またやはり太宰さんが植ゑたといふ青桐も健在であつた。夾竹桃も青桐も、その写真はアルバムに収めてある。最近、私は船橋在住の太宰治の読者といふ人から手紙をもらつたが、それによると、この夏、その人が太宰の旧居をたづねたところ、現在その家には太宰がゐた頃の家主の姉妹が住んでゐて、建増のため、あの青桐は引き抜かれて打ち捨てられてあり、その人は痛ましい思ひにたへられず、乞うて持ちかへつたが、二年の歳月に枯れきつた青桐はただ哀しいばかり、それでもその人は大切にして置きたいと思つてゐるといふことであつた。してみると、私達が撮影…

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