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四十余日
しじゅうよにち |
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作品ID | 601 |
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著者 | 水野 仙子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」 筑摩書房 1965(昭和40)年12月10日 |
入力者 | 小林徹 |
校正者 | 田尻幹二 |
公開 / 更新 | 1999-06-16 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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一
炬燵にうつ伏したまゝになつてゐて、ふと氣がついてみると、高窓が青白いほど日がのぼつてゐた。びつくりして飛び起きてお芳はそこらを見廻した。子供の聲やら荷馬車の轍の音やら、表どほりはもうがやがやしてをるらしいのに、店の者もまだ前後不覺に寢入つてゐる。清治といふ小僧の名を二聲ばかり呼んで、お芳はぐづぐづになつた帶を解いてきりつと着物の前を合した。二人の醫者の馬乘提燈が相前後して山サのくゞりを出て、曉近い街に南と北と分れてから一時間程して皆やうやう寢床に入つたのだ。何かと後の始末をしてゐた産婆が、襷をはづして一まづ暇を告げた時には、母親もお芳も少からず心細く思はれたが、二晩一日看護に疲れた人を、さういつまでも引きとめて置くわけにはいかないので、一寢入して夜が明けたら、また見舞つてくれるやうにとくれぐれも頼んだ。心もとなささうに座敷をのぞいてはうろうろ寢もやらずにゐるお芳を、母親は一寢入するやうにとすゝめて、自分も掻卷を着て娘の枕許を衞つた。――二三時間前の恐しいさわぎを思ひ出すと、うめき聲がまだ耳についてゐるやうな氣がする。臺所に來て見ると、ゆうべ夜食に出した玉子の殼が皿の上にそのまゝになつてゐた。お茶のかはりにと店の棚から持つて來て口を切つた正宗の壜が、底の方に黄色い色を殘して、それも隅の方に押しやられてある。お芳は一人で厨のことをしなければならなかつた。
赤兒が無いと肥立が惡い、それに並はづれて骨を折つたのだものと、母親はひどく産後を氣づかつた。それも無理はなかつた、一年ばかり措いて前に一度同じやうな産のくるしみをして、二月ばかり床をはなれることができなかつたのだ。
清治がむかへに行つて、千藏といふ出入の越後者の爺が來た。産婦の眠つてる間にそつと白木の小さな箱を縁に出して、繩をかけて爺はそれを背負つた。母親はその上に赤い裏のついた着物をかけた。見えないやうにと爺はその上に蓑を着て、羽織をひつかけた宗三郎は、一把の赤い線香を袂に入れて先に立つた。
午後になつて産婆が來て、するべき手當をしてから檢温器をかけた。
『どうでせう、熱が大へんあるやうでせうか?』と、煙管をついて母親が膝を進ませると、
『さうですねえ、少うし高いのがあたり前ですけれど……三十八度五分ばかりありますよ。』と、産婆は首をかしげた。
あくる日になつて産婦はお乳が張るやうだと言ひ出した。母親は元來が小さい乳首を指先で揉み出すやうにしながら、自分から子供のやうに吸つてやつてそれを茶碗に吐き出した。はじめは薄い薄い水のやうだつたのが、暇ある毎にさうしてやつてゐるうちに、だんだんと白く濃いのが出て來るやうになつた。それを便所に捨てるのは勿體ないといつて、水を割つては臺所のながしに流した。
洋燈がついてから、あまり赤い顏をしてゐるやうだからと、母親はお芳と一所になつて、あつた…