えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
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けいきのこちらがわ |
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| 作品ID | 60100 |
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| 著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
| 文字遣い | 新字新仮名 |
| 底本 |
「暗がりの弁当」 河出文庫、河出書房新社 2018(平成30)年6月20日 |
| 初出 | 「朝日新聞」1959(昭和34)年12月 |
| 入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
| 校正者 | noriko saito |
| 公開 / 更新 | 2026-03-23 / 2026-03-22 |
| 長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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例のとおりひるめしのそばを食べに出たら、繁華街の裏通りで女のくず屋が車をとめて、子供たちに食事をさせているのを見た。車の上は手作りの箱になっていて、買った物を入れるのだろう。ぼろきれや束ねた雑誌などがわずかにあり、その上に二歳くらいの女の子が座っている。母親の年はわからない。三十代ともみえるし四十過ぎともみえる。車の前端に腰をかけ、えりをひろげて赤児に乳をのませてい、そのわきに五歳と四歳くらいの男の子が、ふかした芋を食べている。車の中の子も両手にふかし芋を持って、左右を代る代る食べるのだが、歯が生えそろっていないためか、なかなかうまく食い欠けないようであった。
どこででも、いつでも見られるけしきだが、あまてらす景気といわれる側の人たちの目にはとまらないだろう。裏町のほこり立つ道の上で、四人もの小さい子供に食事をさせる気持ちはどんなだろうか。子供たちのほうは平気らしい。うまく芋を食い欠けない幼児は、車の中でじれて、いきんだりうなったりしているし、二人の男の子は自分のを食べながら、すきがあったら相手の芋を奪い取ろうとねらっている。
私は道のカドに立って、タバコを吸いながらさりげなく見ていたのだが、実際に五歳くらいの子が、四歳くらいの子の手から、すばやく芋をふんだくり、さっと自分の口の中へほうりこんでしまった。その芋はその子のこぶしよりずっと大きく見えたのに、なんの苦もなく小さな口へすぽっとはいってしまい、四つぐらいの子は泣き声をあげながらむしゃぶりついて、おれの芋だとわめきたてた。
「なにをばたばたあばけてるだ」と母親がしかった、「なにがどうしたのさ」
五歳くらいの子が即座にいった、「おれの芋をよこせっていうんだ」
いまほうりこんだ芋はどうなったのか、口の中にはなにもないような、はっきりした言葉であった。母親は泣き声をあげている小さいほうのほおを、平手でかなり強くたたいた。
「このずくなし」と母親はいった、「兄のくせに弟の物を欲しがるまぬけがあるか」
五つくらいにみえるほうが弟だったのである。四歳くらいにみえる兄はべそをかき、車の中の幼児はよだれにまみれた顔を芋だらけにして、うなったり、じれて暴れたりしていた。
その女はかれらを、託児所へ預けることもできないのだろうか。もしも夫がなく、ほかに頼る者もなく、小さな四人の子を、自分ひとりで育てながら生きてゆくとしたら、夜半の寝ざめなどにどんなことを思うだろうか。
あまてらす景気のこちら側には、これよりもっと悲惨な、救われがたい人たちが数えきれないほどいる。
鉄道の沿線は広告看板がひしめき並んで、せっかく美しい風景を隠すばかり。都大路のでこぼこな狭い道を、大型小型の乗用車やトラックや電車やバスが、際限もなくすし詰めになって走り、ハニー・バケットが真昼の太陽を浴びて誇りかに往来している――こういう国へオ…