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好みの移り変り
このみのうつりかわり
作品ID60101
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「暗がりの弁当」 河出文庫、河出書房新社
2018(平成30)年6月20日
初出「あまカラ」甘辛社、1964(昭和39)年3月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2025-12-18 / 2025-12-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は去年あたりから喰べ物の好みが変ってきた。牛鍋がだめ、かばやきがだめ、そのほか魚類でも砂糖と醤油で濃く煮たのはだめだし、海老などは伊勢海老からまきまで、てんでうけつけなくなった。およそ十年くらいまえまでは、三日と牛鍋を喰べないことはなかったし、翌日その残りの鍋底に舌鼓を打ったものであった。それがいまは考えるだけで胸がつかえてくる。
 この夏さるところで外泊した翌朝、――こういう場合には例外なく若い友人たちと飲みつぶれたあとであり、その友人たちといっしょに泊るのであるが、――私が牛鍋を嫌うようになったのは、もっぱら心理的誘因が他にあるので、喰べてみれば喰べられないわけがない、と友人たちが断言するので、それではということになった。あとで考えれば若いかれらが喰べたかったのだ。前夜の酒で減衰した精力を恢復させるためには、いちばん手っ取り早い喰べ物だからである。
「ぼくはこっちにいる」と私は座を移った、「その障子をあけてくれ」
「どうしてです」と一人が云った、「クーラーがはいってるのに障子をあけるんですか」
「風上にいたいんだ」と私は答えた。
 煮る匂いを嗅がなければいいだろう、と思ったのであるが、それは浅慮の至りであった。
 幾つかの大皿に肉と具を盛ったのが並び、熱した鍋で脂が焼けはじめると、嗅覚に先んじて視覚がたじたじとなった。これではならぬと眼をそらし、水割りを呷って神経を騙しにかかったが、いよいよ鍋の物が煮えだすなり、砂糖と醤油と肉と入り混った、こってりとした匂いがあたりに充満し、風上もへちまもなく、私の胃袋はたちまち窒息しそうになった。私はさりげなく他の座敷へ逃亡し、チーズとセロリーを噛みながら水割りを啜り、そして自分自身に云いきかせたものだ。「これはなにかの心理的誘因などじゃあない、口の好みが変ったのだ、つまり、乳ばなれのようなものに相違ない」
 しかし肉類が嫌いになったのではない。牛肉でもシチューとかローストとか、ハッシュにすれば好んで喰べるし、少量ならステーキも喰べる。ベーコン・エッグ、ハム・エッグは手作りで喰べるくらいだし、チーズは輸入される殆んどの種類のどれかを毎日欠かしたことがない。
 海苔と卵と味噌汁で朝めしとか、湯豆腐と刺身と甘煮で晩めし、などということも私にはまだできない。どうしてもローストかシチューか、白身の魚ならグラタンぐらいがないときげんがよくないのである。そのうえ、うまい物屋を捜すなどということは従来もなかったし、これからもそんな欲望はないだろう。
 食事は自宅で喰べないとおちつかないし、それもかみさんの料理したものに限るのである。
 たびたび書いたことだが、私は仕事場で独りぐらしをしているから、客がなければ散歩のあとざるそばを半量ほど喰べて済ませるが、客があるときはレストランかてんぷら屋か、鰻屋へでかける。だが私自身は箸をつけ…

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