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![]() さかやのよにげ |
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作品ID | 60103 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「暗がりの弁当」 河出文庫、河出書房新社 2018(平成30)年6月20日 |
初出 | 「講談倶楽部 第十巻第一号別冊」大日本雄辯會講談社、1958(昭和33)年1月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2025-10-14 / 2025-10-13 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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こういう題をみると、人びと――少なくとも酒呑みに属する人びとは膝を乗り出すだろうと思う。
嘘ではない。こちらが勘定を溜めたあげく、面目なさに逃げたのではなく勘定を溜められた側の、すなわち債権者であるところの酒屋のほうで夜逃げをしたのである。
もちろん、約二十年まえ、大森の馬込にいた頃のことで、その酒屋は「三河屋」といい、聞くところによると、当時その付近に住んでいた作家や画家諸氏がずっとひいきにしていたようであった。
その三河屋のまえ、私が馬込で初めて家を持ったときは「大和屋」という酒屋が来ていた。これは馬込での出世がしらだと今井達夫が言っていたし、天神坂という坂の下の、小さなバラック建ての店にもかかわらず、電話を持っていた。ところが、私のところへ来るじぶんには、出世がしらという概念からは遠く、すでに左前になっていたものでしょう。小僧もいなくなって自分で御用聞きに来るのであるが、鼻唄をうたいながら勝手口まで来て、その唄が終るまでは戸口の外に立っているのである。なになにがどうとかして、泣いてくれるなよー、とうたい終るまで立っており、それから初めて「ちわあ」というぐあいなのである。そして私が散歩にでかけると、丘の上の草原に寝ころがっているのをしばしば見た。こういうとなにか深刻な人生問題にでも悩んでいたかのように思われそうだが、じつは極めて単純な怠け者というにすぎなかったのだ。それはその後のなりゆきが明らかに証拠立てているし、いや、――そんなことはどっちでもいい、私は「三河屋」のことを話したいのだ。
私はおよそ怠け者が嫌いである。これは自分が怠け者だから、他人に怠けられるのがいやなためだろうと思うが大和屋にはあいそをつかして、丘の上の三河屋に切替えた。
三河屋の主人は四十五六だったでしょう、痩せた小柄な躯つきで、酒焼けのした色の黒い顔に、下町の鳶の親方といったふうな、ちょっとした苦みばしった感じがあり、あいそ笑いをすると白い歯が見えた。私は東京の銀座裏で育ったが、下町にはよくみかける、いかにも酒屋のおやじらしいおやじであいそ笑いも世辞の口ぶりも、さっぱりとして歯切れがよかった。
こういう人柄に加えて、彼はじつに気前がよく、思いやりが深く、そうして酒呑みの心理のわかる男であった。
――いまでも貧乏に変りはないが、当時の私は文筆生活をはじめたばかりだし、馬込ぜんたいが貧乏の黄金時代で寄ると触ると呑んでばかりいた。こっちが寄らず触らずにいても、先方から寄って来、触って来るわけで、二人や三人ならまだいいけれども、ときには夜の十一時すぎてから、七八人で押しかけて来るのである。
「君のところの水はうまいから一杯飲みに来たんだ、水でいいんですよ」
と吃りながら言うのはその一団の侍大将であるが、誰かということはここに書くまでもないでしょう。むろん、他のときには私も…