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酒も食べ物も
さけもたべものも
作品ID60106
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「暗がりの弁当」 河出文庫、河出書房新社
2018(平成30)年6月20日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2026-02-23 / 2026-02-22
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「どういう物が好きか」と訊かれるたびに、私は「うまい物が好きです」と答える。皮肉でもないしふざけているのでもない、事実そのとおりなのである。あたりまえなことを言うな、と鼻白む人もあるかしれないが、世間には馬の飼葉同様な物でも平気で食べて、結構満足そうにしている人が少なくない、ということもおわかりになるでしょう。
 私は小さいじぶんから食いたしんぼで、食いしんぼに「た」のはいるくらいで、おまけに子供らしくない小面の憎いもの好みをしたらしい。
「ほんとに子供のようじゃない」
 おふくろや親類の人たちに、よくそう言われたのをまだ覚えている。鯛の刺身より脂の乗った小ぶりの目刺のほうが好きだったし、身の多い胴のところより頭の部分がよく、平目の切身はえんがわだけ集めて食べる、牛肉でも適当に脂肪が付いていないと箸を出さなかった。めしはどんなに少なくってもいいが、おかずは三品ぐらいないと機嫌が悪く、これにはおふくろはずいぶん気骨を折ったらしい。
 いまどきこんなことを言うと、聞く人のほうでせせら笑うだろう。私自身が子供のときそれをせせら笑ったのであるが、私の家はむかし伝統の古い武家だったそうで、――そら、もうあなたは笑おうとしている、だが私はじつを言うと笑うどころではなかった。五つの年に袴着の式というのをやらされ、七つの年には切腹の作法をやらされたのです。小さな白装束に裃をつけて、三宝の上にたたんだ紙を敷き、その上に短刀と扇子がのせてあり、扇子のほうで切腹の型を実演したのであるが、そのときの印象がよほど強烈だったのでしょう、十四五歳になるまでしばしばそれでうなされた。なんでも楠木正成の夫人のような女の人が、白装束で髪をおすべらかしに結って現われ、私の前へ短刀をのせた三宝を突きつけながら、もうこれまでであるから腹を切って死ぬように、といったふうなことをすすめるのであった。言葉はこのとおりではなかったようだし、まったく記憶もないので、あるいはなにも言わなかったかもしれないが、その女の人の恰好や顔つきを見ればすべてがわかるので、私は恐しさのあまりうなされて呻吟しずにはいられない。おふくろに揺り起こされ、眼がさめても暫くはその状態から脱出することができないのである。そんなときは右手の拇指を噛むといいのだそうで、おふくろがそのたびに「噛め、噛め」と言うのだが、ふしぎなことに歯に力がはいらず、拇指を咥えたままふるえているのが番たびであった。
 食べ物に戻るが、――幼ない子供にこういう陋習を教えるような父親だったから、貧乏ぐらしをしながら、侍の誇りとかいうものを生活の大黒柱のように考えていたらしい。お祭でも神輿を担いだり山車を曳いたりしては「いけない」、足を投げだして坐っては「いけない」、親に口答えをしては「いけない」、その他もろもろ、朝から晩までいけない、いけないの連続であるが、私がも…

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