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笑われそうな話
わらわれそうなはなし
作品ID60120
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「暗がりの弁当」 河出文庫、河出書房新社
2018(平成30)年6月20日
初出「あまカラ」甘辛社、1961(昭和36)年1月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2026-04-06 / 2026-04-05
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私に新らしいたのしみが一つ殖えた。マディラ(タイプと断わってある)という赤ブドー酒をみつけたことだ。今年の春ころ、「そういう印のブドー酒を売っている」と聞いたときには、マンティリアのマディラという名が、なにかしらうさん臭く感じられたので、まあよしておこうと答えた。ところが十月はじめになって、青年Kがそのブドー酒を買って来た。半ばばかにしながら啜ってみるとたいへんうまい、口腔から喉頭まで、やわらかくしみこむような味わいである。香りもやわらかであり、これまでに飲んだ和製ブドー酒のどれにも似ない、本当の「ヴァン」らしい「ヴァン」という感じがした。
「こいつは傑作だ、うまいね」と私はKに言った。「まるで古酒といった感じだよ、こんなうまいブドー酒が日本で出来るのかね」
 Kは黙ってにやにやしていた。
「うまいよ」私は二杯めを啜りながら、また言った。「本場のマディラは飲んだことがないからわからないが、スペインなんて気候も人情も荒っぽいところだろう、とすれば本場のやつにこんな味は出ないと思うね」私はまた一口啜って唸った。「うん、うまい、こいつは本物だよ」
 私は日本酒はたまに少量しか飲まない。ビール、ウィスキー、ハイボール、ブドー酒。あとはシェリーとかポルトとか、ドム・ブランディの類を食事の前後に少量やる、というぐあいであるが、味とか質とかを吟味する能力は殆どない。「うまい」か「うまくない」かで区別するだけだ。それは若いじぶんに、「フランスのヴァンを飲むなら安いのに限る、高価な品は送られて来る間に味がおちる」からだと、長くフランスにいた美術批評家Y氏に訓されたことによるらしい。したがって(ふところ都合によることはもちろんだが)ブドー酒はメドックの赤のいちばん安いやつしか飲まなかった。ごくたまにシャトー銘柄のものを奢ってみても、舌が馴れないので値段ほどうまいとは思わない。「うまいやつはみんな宮中とか富豪のところへいっちまうんだろう」貧乏人には貧乏人の酒が合っているんだ、などと悟ったようなことを言っていたものだ。
 戦後もいろいろなブドー酒をあさった。吉田健一さんなどが「安酒だ」と軽蔑するバルサックも相当ながし込んだし、シャトー・マルゴオの安いほう、その他もう忘れてしまった各種の赤白をずいぶんやってみた。そのうちに寿屋からヘルメス・デリカが売り出され、初めはそれほどでもなかったが、売出されて二年目くらいになると、赤白ともぐっと味が引立ってきた。「もうメドックなんかいらない」と私は言った。どういうものか、そのころからフランス物もドイツ物もいちように酸っぱくなったのである。なんどもためしてみたが慥かに酸味が強くなり、舌に残るあの渋さが感じられなくなった。
 私は知友にヘルメス・デリカをすすめた。朝日学芸部の門馬義久がまず改宗したし、私といっしょに飲む席では多くの青年や女性たちも…

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