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空想としての新婚旅行
くうそうとしてのしんこんりょこう
作品ID60170
著者正宗 白鳥
文字遣い新字新仮名
底本 「白鳥随筆 坪内祐三選」 講談社文芸文庫、講談社
2015(平成27)年5月8日
初出「趣味 第二巻第五号」彩雲閣、1907(明治40)年5月1日
入力者藤間清霞
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2021-03-03 / 2021-02-26
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 新婚旅行とは噂を聞いても歯が浮くような気がするが、僕でも女房を娶ったら、悦しくて可愛くて、蜜月旅行を企てたくなるかも知れん。どうせ我々貧者の妻君になりたいと云う奴なら、ろくな容貌を備えていよう筈はないが、其処は人情で、自分の妻と思うと、まんざらの顔でもないような気がする。品性に於いては当世稀に見る所だ、などと、腹の中ではほく/\喜んでる。で、旅行となると、原稿料の前借をして、五十円ばかり懐ろに入れて、妻君の赤い顔に白粉をぬらせ、生れて初めての中等列車に乗る。これが艶麗なる芸者でも連れて乗ったのなら、乗客が注目して、僕の艶福を羨むであろうが、縮れっ毛の坊主襟の愚妻を見て涎を垂らす奴もないんだが、其処が人情だ。誰れも眼中に置いていなくても、自分には人が見ているような気がして、極りが悪かったり又一種異様の悦楽を覚ゆる。愚妻に至っては一層甚しい、妙に品をつくって、お姫様然と構えている。時々僕が妻の歓心を買わんが為に、小声で面白い話をすると、妻君は伏目になって、大きな口をすぼめて、買い立ての絹手巾を当てて、ホホホホホと笑う。やがて新婚旅行の本場たる箱根へつく。秀麗なる山水も愚妻によって画竜点睛となる、湯本から二つ車を命じて、僕が後から妻君の後ろ姿を拝して坂を上って行く。苦学生時代に来た安値な宿屋へ留る。浴後美人と欄に凭れて纏綿の情を語るとは、僕が屡々小説に書いたことだが、実行はこれが初めてである。旅だから遠慮は入らぬ純然たる夫婦気取り。互いに過去現在将来を語る、殊に友人の悪口を頻りに云う、「あの男は駄目だよ、理想が卑低いから、妻君も下品で話しにならん。」と、友人の浅学無識を罵り、その妻君の容貌の攻撃まですると、僕のワイフは一々これを真理と信じて聞き惚れている。又妻君も自分の友人の悪口を婉曲にいって、僕が「そちの申す通り。」とやる。つまり天下の大才子は「貴郎だわ。」天下の美人は「お前だよ。」と、以心伝心に極ってしまう、そこで僕が前途の抱負を述べると、愚妻は殊勝にも、「私生活の苦労なんか少しも厭わないわ、何々子さんのようにお金持を望んで結婚したって、ハズバンドが無能で、何んにも理想の事業は出来なくっちゃつまらないことよ。」という。僕は悦し涙が出る。北条早雲が箱根山の頂上で関八州を睥睨して、大丈夫何々と叫んだそうだが、僕も塔の沢の六畳で理想がいよ/\固くなった。兎かくする間に一週間を過して、懐中殆んど無一物、帰途についたが、茶代僅かに二円置いたので、旅館でもお世辞一つも云わなかったから、愚妻は大いに不平で、「宿屋の女は品性が低いのね、お金次第でどうでもなるんだから。」と、目を三角にして呟いた。品性高き妻君は旅行後十月にして子を生んだ。僕は原稿稼ぎに余念なく、「新婚旅行」の小説も書いたが、その中の女主人公は沈魚落雁的で気前もいい。
(「趣味」明治四〇年五月)



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