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生けるものと死せるものと
いけるものとしせるものと
作品ID60177
著者ノアイユ アンナ・ド
翻訳者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「繪はがき」 角川書店
1946(昭和21)年7月20日
入力者かな とよみ
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2020-11-15 / 2020-10-31
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

汝は生けり。なが面おほへる青空を呑みつつ、
なが笑まひをわれは佳き小麥のごとき糧とす。
われは知らず、汝が心踈ましくなりて、
   われを饑ゑ死なしむるはいつの日か。

孤獨に、絶えず脅かされつつ、さすらひゆく
われには、未來もなく、屋根ももはやあらじ。
われはひたすら恐るなり、家も、日も、年も、
   汝がためにわれの苦しみし……

われをとり繞らせる空氣のうちに、われのなほ
汝を見、心ちよげに汝の見ゆるときすら、
汝がうちなる何物かはわれを棄ててやまず、
   そこに在りながら、汝は既に去りゆく身なれば。

汝は去り、われは止まる、もの怯づる犬のごと、
日に赫ける砂のうへに額すりよせ、
口うごかして、その影を捉へんとすれば、
   蝶は飛び立つてひらひら……

汝は去りゆく、なつかしき船よ。汝を搖すりつつ、
海は誇りてをらん、遙かかなたなる樂土を。
されども、此の世の重き荷はいよいよ増さん、
   わが靜かなる廣き港に。

みじろがずにあれ。汝がせはしげなる吐息、
汝が身ぶりは、蘆間を分くる泉に似て、
わが心のそとに出づれば、盡く涸れん。いましばし止まれ、
   わが憩ひなる、この胸騷ぎのうちに。

わが目ざしのなが目ざしとひとつになりて燃ゆるとき、
わが瞳の汝に見するは、いかなる旅か。
そはガラタのゆふべか、アルデンヌの森か、
   あるひはまた印度の蓮の花か

ああ、汝が飛躍、汝が出立に胸壓しつぶされ、
われの手にてはもはや汝をこの世に止め得ずなりしとき、
われは思ふ、やがては汝にも襲ひかからん
   倦怠の凄まじさやいかに。

快闊にして、心充ち足り、勇氣ありし汝、
王者のごとくにすべての希望を意のままにせし汝、
汝もまた遂にはかの奴隷の群れに入るか。
   默默として、耐へて臥やせる……

野を、水を、時間を超えて、彼處に、
明瞭なる一點として、われは見る、
孤立せるピラミッドに似て、何か魅するがごとく、
   汝の小さき墓の立てるを。

されど、悲しいかな、その墓のかなた、
汝の最後に往きつく先はわれには見えず、
汝を押し戻して、其處に歩み止まらしむるその限界、
   汝を憩はしむる床やいかに。

汝は其處にて死してあらん、かのダビテの[#「ダビテの」はママ]輩や、
槍投げするテエベびとの死すごとく。
あるは海べの博物館にて、その灰の目方をわが量りてみし
   希臘の踊り子の死すごとく。

――われは嘗て、或太古の岸邊に立ちて、
烈日の熱さを天の侮りのごとく耐へつつ、
石棺の底にここだ殘れる人骨を見しことあり。
   そが額とおぼしきあたりの骨にもわれは手觸れつ。

そのとき、それら遺骨をうち眺むるわれとても、
すでに死者と異ならず、ただわれには脈搏あるのみなるを覺えき
わがしなやかなる身の、かかる骨に化するは、
   束の間のうつろひに過ぎざ…

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