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わたくし自身について
わたくしじしんについて
作品ID60230
著者アーヴィング ワシントン
翻訳者吉田 甲子太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「スケッチ・ブック」 新潮文庫、新潮社
1957(昭和32)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-04-03 / 2021-03-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしはホーマーと同じ考えである。ホーマーの考えというのは、カタツムリが、殻からはい出して、やがてガマになると、そのために腰掛けをつくらなければならなくなる。それと同じように、旅人も生れ故郷からさまよい出ると、たちまち奇妙なすがたになるので、その生活様式にふさわしいように住む家を変え、住めさえすれば、たとえのぞみの場所ではなくとも、そこに住まなければならなくなるというのである。
――リリー「ユーフューズ」

 わたしはいつでも、はじめての土地に行って、変った人たちや風俗を見るのが、好きだった。まだほんの子供のころから、わたしは旅をしはじめ、自分の生れた町の中で、ふだん行かない所や知らない場所にいくども探険旅行をして、しょっちゅう両親をおどろかしたり、町のひろめやの金もうけの種になったりしたものだ。少年時代になると、わたしは観察の範囲をひろげた。休みの日の午後には、郊外を散歩し、歴史や物語で名高いところにはすっかりくわしくなった。人殺しや追いはぎがあったとか、幽霊が出たとかいうところは一つ残らず知りつくした。近隣の村々に出かけて行って、そこの風俗習慣を見たり、賢人名士たちと話しあったりして、大いに知識をふやした。ある長い夏の日には、遠くはなれた丘のいただきに登り、何マイルもひろがっている「未知の国」をはるかに見わたし、自分が住んでいる大地があまりにも広大なことを知って驚嘆したものである。
 こういう漫歩癖は年とともに強くなった。航海記や旅行誌がわたしの愛読書となり、あまり読みふけって、学校の正規の勉強はほったらかしの始末だった。からりと晴れた日に桟橋をあちこちと歩き、遠い異境に向って出帆する船を見まもりながら、わたしは深いものおもいに沈んだ。次第に小さくなってゆく船の帆を見つめ、地の果てにただよってゆくわが身を空想するとき、どんなにわたしの眼はあこがれに輝いたことだろう。
 さらに書物を読み、ものごとを考えるようになると、このとりとめもない癖は、以前よりも分別がついたとはいうものの、なおいっそう動かすことのできないものになった。わたしは故国の各地を遍歴した。もしわたしが単に美しい風景を見るのが好きだというだけだったら、他国にまで行って望みを満たそうとは思わなかったにちがいない。自然の魅力がかくもふんだんに与えられている国はどこにもないからだ。銀をとかしこんだ大海のような雄大な湖水。明るい大空の色に染まった山々、豊かなみのりに満ちあふれる山あいの地。人も訪れぬところに、轟々と音をたてておちる巨大な滝。自然のままの緑に波うつ果てしない大平原。おごそかに音もなく大洋へと流れてゆく、深く広い大河。堂々たる木々がおいしげる人跡未踏の森林。夏の日にまきおこる雲に燃え、陽光がさんさんと輝く、この国の大空。まったく、アメリカに住む人にとっては自国のそとに自然の景観の美と崇高…

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