えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

沖縄人の最大欠点
おきなわじんのさいだいけってん
作品ID60236
著者伊波 普猷
文字遣い新字新仮名
底本 「古琉球」 岩波文庫、岩波書店
2000(平成12)年12月15日
初出「沖縄新聞」1909(明治42)年2月21日
入力者砂場清隆
校正者かたこ
公開 / 更新2021-04-25 / 2021-03-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 沖縄人の最大欠点は人種が違うということでもない。言語が違うという事でもない。風俗が違うという事でもない。習慣が違うということでもない。沖縄人の最大欠点は恩を忘れ易いという事である。沖縄人はとかく恩を忘れ易い人民だという評を耳にする事があるが、これはどうしても弁解し切れない大事実だと思う。自分も時々こういう傾向を持っている事を自覚して慚愧に堪えない事がある。思うにこれは数百年来の境遇が然らしめたのであろう。沖縄に於ては古来主権者の更迭が頻繁であったために、生存せんがためには一日も早く旧主人の恩を忘れて新主人の徳を頌するのが気がきいているという事になったのである。加之、久しく日支両帝国の間に介在していたので、自然二股膏薬主義を取らなければならないようになったのである。「上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ」という沖縄の俚諺は能くこの辺の消息をもたらしている。実に沖縄人に取っては沖縄で何人が君臨しても、支那で何人が君臨しても、かまわなかったのである。明、清の代り目に当って支那に使した沖縄の使節の如き、清帝と明帝とに奉る二通りの上表文を持参して行ったとの事である。不断でも支那に行く沖縄の使節は琉球国王の印を捺した白紙を用意していて、いざ鎌倉という時にどちらにも融通のきくようにしたとの事である。この印を捺した白紙の事を「空道」といい伝えている。これをきいてある人は君はどこからそういう史料を探してきたか、何か記録にでも書いてあるのかと揚足を取るかも知れぬ。しかし記録に載せるのも物にこそよれ、沖縄人如何に愚なりといえども、こういう一国の運命にも関するような政治上の秘密を記録などに遺しておくような事はしない。これは古来琉球政府の記録や上表文などを書いていた久米村人間で秘密に話されていた事である。私は同じ事を知花朝章氏から聞いたことがある。とにかく、昔の沖縄の立場としてはこういう事はありそうな事である。「食を与ふる者は我が主也」という俚諺もこういう所から来たのであろう。沖縄人は生存せんがためには、いやいやながら娼妓主義を奉じなければならなかったのである。実にこういう存在こそは悲惨なる存在というべきものであろう。この御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる。これはた沖縄人の欠点中の最大なるものではあるまいか。世にこういう種類の人ほど恐しい者はない、彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない。沖縄の近代史に赤穂義士的の記事の一頁だに見えない理由もこれで能くわかる。しかしこれは沖縄人のみの罪でもないという事を知らなければならぬ。とにかく現代に於ては沖縄人にして第一この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である。然らばこの大欠点を如何…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko