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忘れがたみ
わすれがたみ
作品ID60289
著者原 民喜
文字遣い新字新仮名
底本 「原民喜戦後全小説」 講談社文芸文庫、講談社
2015(平成27)年6月10日
初出「三田文学」能楽社、1946(昭和21)年3月
入力者竹井真
校正者高辻 巴
公開 / 更新2021-03-13 / 2021-03-14
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

飛行機雲

 大学病院の方へ行く坂を登りながら、秋空に引かれた白い線に似た雲を見ていた。こんな面白い雲があるのかと、はじめて見る奇妙な雲について私は早速帰ったら妻に話すつもりで……しかし、その妻はもう家にも病院にも居なかった。去年のこの頃、よくこの坂を登りながら入院中の妻に逢いに行った。その頃と変って今では病院の壁も黒く迷彩が施されてはいるが、その方へ行くとやはり懐しいものが残っていそうで……しかし、私がもう此処を訪れるのも今日をかぎりにそう滅多にあるまい。玄関ではもう穿き替えの草履を呉れないことになっていた、これも、以前と変ったことがらである。私は川島先生に逢って、妻の死を報告しておいた。それからとぼとぼ坂を降りて行った。
 翌日、新聞に飛行機雲の写真が出ていた。さては昨日見た雲は飛行機雲というものなのかとひとり頷いたが、仮りにこれを妻に語るならば「漸くあなたはそんなことを知ったのですか」と、病床にいても新知識の獲得の速かった彼女はあべこべに私を笑ったかもしれないのだ。

財布

 初七日が過ぎて、妻の財布を開けてみた。枕頭に置いて金の出入を司っていた、この大きな財布はもう外側などボロボロになっている。死ぬる二三日前はもう小銭の扱いも面倒くさがっていたが、患ってはいても長い間、几帳面に銭勘定をしてくれたものだ。
 財布の内側には二十円なにがし金が残っていた。もっと内側のかすかに含らんでいるところには……何が這入っているのだろうと、私は一つ一つ調べてみた。竹村章一という印の捺された水道料金の受領証、それも昨年の六月分だけ一枚それから四年前の書留の受取、そうした無意味な紙片にまじって、大切そうに半紙に包んだ小さなものが出て来た。私は何だろうと思いながらそれを開けてみた。鹿島神宮武運長久御守……はっとして、眼頭の熱くなるものがあった。



「花というものが人間の生活に必要だということをつくづく感じるようになった、以前は何だかつまらないものだと思っていたが……」
 柩に入れる花を求めて帰る途中、私の友人はふとそんなことを呟いた。
 妻の霊前には花が絶やされなかったが、四十九日になるとあちこちから沢山の花を貰った。仏壇は花で埋れそうであった。雨気の多い日には障子の開けたてに菊の香が動いた。夜一人で寝ていると、いろんな花のけはいが闇の中にちらついて、何か睡眠を妨げるようであった。花が枯れて行くに随って香りも錆びてゆくのであった。
 新しい花を求めてまた花屋に行った。近頃花屋にも花は乏しく、それに値段は驚くほど高くなっている。しかし、大輪の黄菊と紅白のカーネーションなど掌に持ち歩いていると、年寄の女など嘆声をあげて珍しがるのであった。

南瓜

 寝ていて見える半間の窓に這い登っていた南瓜は、嵐で地面に叩き落されてしまった。後にはよごれたトタン塀が白々と残されていた…

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