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自慢山ほど
じまんやまほど
作品ID60291
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 横光利一全集 第十四卷」 河出書房新社
1982(昭和57)年12月15日
初出「随筆 第二卷第八號」1924(大正13)年9月1日
入力者悠歩
校正者深白
公開 / 更新2022-12-30 / 2022-11-26
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 何月何日、忘れた。広津和郎氏とピンポンをする。僕の番だ。広津氏傍から僕に云ふ。
「君はピンポンなんかを軽蔑しさうな青年だつたがね。そして、ピンポンから軽蔑されさうな青年だつたが、非常に健康さうになつた。」
 僕は自分の自慢をそのとき二つ三つ思ひ出した。こんな自慢を思ひ出させたのは広津氏が悪いのだ。僕は中学時代に野球のキヤプテンをやつてゐた。柔道は選手を三年の時からやつた。試合に負けた記憶がない。走り高飛びは五呎三吋を飛んだ。まだ僕のレコードを破つた者は八年になるがないと云ふ。徒歩競走は四百米なら全校で誰にも負けたためしがなかつた。水泳は学校の助手を二年した。ピンポンだけは学校にはなかつた。教師は僕のことを運動の天才だと云つた。こんなことが誇りになれば、こんなことを書き得ることも誇りである。今やつてみたいと思ふのは馬に乗ることだ。木馬には乗つた。これなら馬の上へ三人積んでおいても飛んでみせる。右自慢二十行。まだ忘れた。機械体操なら模範を示すのがいつも僕の役目であつた。此のため、僕はもつとも体操の教師に愛された。体操の教師になら今でもならう。それからまた思ひ出したが、これも何年何月か忘れた。程遠いことである。まだ僕が学生の時で、ある日文士の野球の仕合ひがあると云ふので見物に行つたことがある。そのとき一人欠員が出来たので是非見物の中から這入れと云ふ。誰が云つたのか忘れたが多分国木田虎雄君だつたと思ふが誰も知らない僕を引張り出した。僕はベースをもう長らく五年程もしなかつたので一寸やつてみたくもなつた。やると、その頃文士と云ふ人を少しも知らなかつたが、僕が打つ番になつたとき、邦枝完二氏がピツチであつた。田中純氏はシヨートをやつてゐた。青い脛にヒゲが生えてゐて、小腰をかがめてさもうまさうにぴちぴちしてゐる容子を見ると、これならまずいと思つた。久米氏はサードで脊広にボヘミアンをひらひらさせ、唇が刺身のやうな感じがした。竹久夢二氏はどこにゐたのかとにかく案外玄人臭い身のこなしで馳け廻つてゐたのを覚えてゐる。僕がヒツトを久米氏の頭の上へ打ちつけた。一挙にして三塁を盗つて、四塁へ少し危いと思つたが高をくくつて駈け込んだ。所が、いま一歩と云ふ所で辷つて転んで刺されて了つた。頭に残つてゐる所によると、田中純氏のその時の行動が最も僕を殺すに役立つ敏捷さを持つてゐたと思はれる。僕が守勢のときはセンターをやらされた。ピツチをやらしてくれたなら打たさせはしなかつたのだ。僕は若い頃はアウトカーブが得意であつた。これなら殆ど自在に出すことが出来たのだ。僕はストライキを練習するとき、四間離れた所から幅三四寸の松の立木に打ちつけて二十発中一度も脱さなかつた。ただアウトカーブのコントロールには時々懊まされた。霧雨が降るとボールが生物のやうに狂つた。僕は空気銃がうまかつた。これも今思ふと冷汗が出るの…

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