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修道院の月
しゅうどういんのつき
作品ID60351
著者三木 露風
文字遣い新字旧仮名
底本 「三木露風全集 第3巻」 日本図書センター
1974(昭和49)年4月20日
初出「牧神 創刊号」1920(大正9)年10月16日
入力者きりんの手紙
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-06-23 / 2022-05-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 たぐひ稀なうつくしい光をはなつ今宵の月よ。八月十四日の盆の夜に、天心にあつてさやけく照り満ち、そゞろに秋の思に堪えざらしめる。その思、歓びに似て歓びでなく、哀しみに似て哀しみでなく、たゞ哀歓交々心胸を往来して、白月の秋風と共に我胸に入つて漂蕩ふこゝちがする。予は宵の程は、しばらく家に籠つて、机の上の書き物取り散らかしなどしてあつたが、感興至つて座を立ち、山荘の外に出て、小逕を辿つて、めあてもなくあるく。人影とて更になく、天地たゞ寂寥。目をあげて見れば、空もいつもよりは広く大きく果しなく、地も茫漠として、さながら異れる領土を逍遙ふこゝちがする。坂を下りて小橋を渡り、更に坂を上つて広き野に出で、車の轍のあと著るく見える較大きな路をたゞ一筋に海へと向ふ。路の尽きる彼方に琥珀の粉を吹き散らしたやうな海上の※[#「さんずい+歛」、U+3D91、957-上-16]波が月の光を反映して横はつてゐる。路の傍に丈高く延びた牧草、またそのほかの名も知れぬ、夜目にはそれとも分かぬ余多の草が、濡れいろに輝き、葉裏葉表をひるがへし、啾々たる秋風に吹かれてゐる。秋蛩の数も幾千万と知れず、こほろぎ、きり/″\す、いとゞのなく声もそれとは一つ一つ分かず、たゞ交々に入乱れて、風の音にまぢり、風と虫のすだく音と、清しい羅の揺らぐやうに地の上を籠める。ずつと下の方の村に太鼓の囃子が単調ながらおもしろく聞えて来るのは村の年若き男女たちが、団扇など手にして踊るのであらう。
 歩みを転じて園囿の草のすろうぷを上る。今宵灰白色に浮きて見える礼拝堂は、寂然として無限を熟視める立像のやうな感じがする。その一つの窓に不消の聖燈の火かげが静に射してゐるのもなつかしい。また我山荘の燈火も狭霧をこめた月夜には却て明るく、さへ/″\しく見える。彼の燈火のいろの美しいのは、たゞ月夜といふばかりでなく、秋の大気が見する業かもしれぬ。夏も春も燈火の色をかくもうつくしく鮮かには顕じないと思ふ。
 後ろの山を丸山といふ、山腹の巌窟に聖母マリアを祀り、白樺の木など多く茂る。今その山の前面はこと/″\く月の光をうけて、静寧の懐に横はり、殊更一ところ黝ずんでゐるのは、山頂から麓まで走つた馬の背のやうな崖とその凹所の谷を表はす襞である。落葉松の林の上に浮雲があり、山頂の空には北斗七星があり、中の三星は雲に覆はれて黄金の燭を秘す。
 予の影は黒く、実に黒く、行くに随ひてあゆむ。おかしいのは風に吹かれて歩む予の衣のかげが、靡いてうつり、西行法師が富士見の形となる。
 予の上るに随ひて僧院の建物の全面が斜丘の上に現はれてくる。あの多くの窓に眠つてゐる修友たちよ。おんみらの中には今宵の月を枕べに見て、いつになく眠られぬ人もあるであらう。予はさう思ひながら、一つの室に置き忘れた書物を取るために、白い扉を開いて入つて行つた。と、内部に漂つてゐた…

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