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仮寐の夢
かりねのゆめ
作品ID60379
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「21世紀の日本人へ 永井荷風」 晶文社
1999(平成11)年 1月30日
初出「新生 第二卷第七號」1946(昭和21)年7月
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-04-30 / 2023-04-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○家が焼けてから諸処方々人の家の空間をさがして仮寐の夢を結ぶようになって、ここに再び日本在来の家の不便を知るようになった。襖障子を境にしている日本の家の居室には鍵のかかる処がないので、外出した後の用心をすることができない。空巣ねらいの事はさて置き、俄雨の用心には外出のたびごとに縁側と窓の雨戸をしめて帰るとまたそれをあけなくてはならない。むかしから雨戸と女房に具合の好いものはないという諺がある。日本の家に住むにはまず雨戸の繰出し方から演習して行かねばならない。雨戸も二三枚ならばよほど楽であるが、五枚六枚とつづく長い縁側の雨戸と来たら、指先を傷めぬように手袋でもしてかからねばなるまい。ピエールロチのたしか日光紀行に旅館の女中が夕まぐれに何枚と知れぬ雨戸を巧みに繰出す技芸を見て嘆賞するくだりがあった。日本人が家居の様式は江戸時代から明治を経て昭和の今日に至るも、大体において変るところがない。政治は変っても日本人の生活は一二世紀前のむかしと一向変っていないのだ。戦いに負けて政体を云々する人の声も聞かれるようだが、それらの人の住む家と雨戸の不便とはこの後も長くむかしのままにつづくのであろう。紙がないと言いながら襖や障子の代りになるものは誰も考案しないようである。政治は口と筆とさえあればこれを論ずるに難くはないが、戸障子の如何は実際の問題で空論ではないからであろう。
○半紙だか美濃紙だか、また西の内だか何だか知らぬが、とにかく楮の樹皮から製した日本紙を張った障子の美は、もう久しい前から、田舎の旧家とか寺とかいう特別な処に行かないかぎり見られないものになっていた。しかしわたくしにはその記憶だけは今でもどうやら消えずに残されている。暗く曇った日に、茶室の障子の白さを茂った若葉の蔭に見る快感は西洋の家には求めても得られない。昼過の軟な日光に、冬枯れした庭木の影が婆娑として白い紙の上に描かれる風趣。春の夜に梅の枝の影を窓の障子に見る時の心持。それはすでに清元浄瑠璃の外題にも取入れられている。赤く霜に染みた木の葉や木の実に対照する縁先の障子の白さの如きはとうてい油絵には現せないものであろう。戦争は日本固有のさまざまなる好き物を滅した中に、障子の事も数え入れられるであろう。
○人の家の貸間に住んで見ると、家屋も庭園も他人のものであるから、地震にも暴風雨にも何の心配もいらない。垣が倒れようが戸が破れようが、間借りの人は主人をさし置いてとやかく言うことはできない。差出口をするのは僭越であり失礼であろう。雨漏がしていられなくなれば引越先をさがすより仕様がない。引越す目当がなければ枕元に盥でも持出して徐に空の晴れるのを待つばかりだ。国家社会に対するわれわれ庶民の生活もまずこれに似たものらしい。治世の如何は台閣の諸公の任意に依るもので、庶民の力の及ぶべきところではない。間借の人の義務は滞りな…

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