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国民性の問題
こくみんせいのもんだい
作品ID60382
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「21世紀の日本人へ 永井荷風」 晶文社
1999(平成11)年 1月30日
初出「新演藝」1922(大正11)年9月
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-05-30 / 2022-04-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 現代における芸術の問題は要するに日本の国民性全体についての問題である。芸術をお上の役人が検閲するのが好いとか悪いとかいって議論して見たところで、いまの一般社会がよくもならなければ悪くもなるまい。依然としていまの状態をつづけて行くにきまっている。しかし、社会に対する一つの刺戟にするのなら、問題にしてもいいと思うが、一体日本の現在の社会状態は女の腐ったようなもので、絶えず愚痴をいってみたり、泣言をいってみたりするが、いざそれをはっきりと片付けようとすると、どこかが神経衰弱で何にも出来ないといったような状態である。近い例が政治問題にしてもその当事者だけはいろいろ議論をしたり何かするけれども輿論は少しも、それによって真底から動きはしない。芝居のこと、文学のこと美術のことなどは分けてそうである。
 芝居のことでいえば、どんな芝居を見せても、見物は何ともいわずに見ている。もしあったところで、その見物人にとってはどうでもいいことなのであるから、結局なんでもないことになる。近頃の新劇と昔の黙阿弥の芝居と一所に並べて見せられても何とも思わない見物なのである。
 美術のことにしてもそうである。文部省でこしらえたり、美術院でやったりする展覧会に、特別室を設ける必要があり、その特別室へも陳列を許さない作品もある。政府で選定した専門家である審査員が選定したものでも警視庁なり、内務省なりの役人が検査をしてそのために陳列を撤回させたり、その検査の後でないと一般にも公開を許さない世の中である。といって、審査員が、そんなに顔をつぶされても、そのために辞職もしないで、平気な顔をして審査員の職にいるし、出品者も、それに憤慨して出品しなくなるわけでもない。またそのために美術学校へ入る生徒がなくなるわけでもない世の中である。
 文学でもそうである。作家の書いたものを政府でいけないといって発売を禁止する。後で叱言をいう位で事がすむ。作家の方でも、それに対して真剣になりもしない。
 一たいにこんな風である。これではいけないから西洋風にせよ、ということも言えるけれども、それも私には疑問に思われる。
 西洋では――といって私の知っているのは米国と仏国だけであるが、――芸術家が社会に対して自分の作品を発表することに政府は何の干渉もしない。しかし、発表したものに対して、政府は社会の批判によって禁止を命ずる事務を取扱うだけであるが、一度禁止する時はそれが裁判になって、負けた時は罰金とか体刑を受けることになるのである。負けないまでも裁判事件のために半年位の時間はそのために邪魔をされる。フローベルのボワリイ夫人が仏蘭西で裁判になった時は半年位かかって解決した。この時はフローベルの方が勝ったけれども、他の場合でも、控訴するとか、上告するとかまで行かなければ承知しないのだから時間はかかる。だから、両方が真剣になって信ず…

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