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独居雑感
どっきょざっかん
作品ID60383
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「21世紀の日本人へ 永井荷風」 晶文社
1999(平成11)年 1月30日
初出「婦人公論」1922(大正11)年8月
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-09-28 / 2022-08-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は病気その他いろいろの事情のために五六年前から今以て独居の生活を続けている。私は別に独身主義を主張しているわけではない。しかし事実において独身で暮しているから、男の独身生活についていろいろ感じたこともある。今それらについて書いてみようと思う。
 最初私は独身ということを、大変愉快のことのように感じていた。それは西洋の独身者などの生活を見たり聞いたりしていたからである。また自分が著作の生涯を送るのに、芸術家としては、妻子のない方がいいように思っていた。フローベルの生涯などを考えるに、自分の芸術と自分の生活と、この二つしかないということが、芸術家としていかにも心持よく感じられていた。で、今日まで依然として独身の生活を続けているのであるが、さて、実際に差当ってみると、日本の今日の状態では、男の独身生活というものは、日常生活の些細な点において非常に不便なものである。私は孤独という事に関して精神上にそれほど深い打撃を受けたことはない。いつも打撃を受けるのは、日常生活についてである。私が余丁町の地所家屋を売払って狭い家に引移ったのも、とうてい男一人ではやってゆかれなかったからである。
 例えば日本風の座敷などは、とても男一人では住まってゆかれない。年に一度ずつは障子を張かえなければならないし、三年目には畳も取かえなければならないし、縁側などは毎日拭きこまなければならない。食事の如きも女中に任せて置くと物が腐っていることなどには少しも注意をしてくれないから、衛生の点から言っても、独居ははなはだ不便であった。女中というものについては、夫婦の方でも困っているのだが、ことに男の独身者が女中を使ってゆくということは、日本ではとてもうまく行かない。自分の経験したところ西洋ではそういう不便は全くなかった。第一に西洋と日本の女中の相違していることは責任の観念のあるなしということであって、西洋の女中は日本のに比較すると責任の観念が非常に強い。一々つまらない小言を言わなくとも済んでゆく。私は亜米利加で半年ほど女中を使っていたことがある。仏蘭西でも使った。西洋では女中にもいろいろの種類があった。室だけを借りている場合には、昼飯と晩飯だけを拵えてくれる通いの女中もあるし、食事を拵えないで、朝一時間なり二時間なり来て、室の掃除、着物の世話、靴磨きなどをするために一時間いくらという給金で来てくれる女中もあった。それであるから独身生活は経済の点からいっても無論妻帯の生活よりも文学者などには適していた。西洋では妻帯の生活は金がなければちょっと出来ない。ところが日本ではこれと反対で、独身の生活は時としては妻帯の生活よりも不経済なことが多い。これは無論日本の生活が西洋のとは違っているので、今さら言うまでもない事である。
 その他にもう一つ日本の独身生活の不便なことは、訪問者が時を定めずに来ること、それ…

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