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出版屋惣まくり
しゅっぱんやそうまくり
著者永井 荷風 / 永井 壮吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風全集 第十九巻」 岩波書店
1994(平成6)年11月28日
初出「文藝春秋 第二十七巻第十一号」文藝春秋新社、1949(昭和24)年11月1日
入力者砂場清隆
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2021-01-02 / 2020-12-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文学書類を出版する本屋も私は明治三十四五年頃から今日まで関係してゐることだから話をしだせば限りがないくらい沢山あります。文学者の方から見れば本屋といふものは概して不愉快なものさ。口と腹とはまるでちがつてゐる人間ばかりだから心持好く話はできない。文学者は初から一枚書けばいくらだと胸算用をして金のためばかりに筆を執るわけでもないんだから本屋と金の取引をするだけでも愉快ではない。
 明治時代には今日のやうに一冊について定価の幾割を取るといふやうな印税の約束は一般には行はれてゐません。(これは文学書類についての話で、辞書だの法律書だのの事は知りません。)明治の末年に小説を出す本屋は春陽堂、博文館、金港堂などが重なもので、今の新潮社の前名新声社は其頃からそろ/\新作家の作物を出しはじめたのです。初は神田錦町の神田警察署の側に店がありました。それから明治四十二三年頃には市ヶ谷見附内から飯田町に移つたのです。春陽堂は紅葉露伴のものを出すので文学書肆の中では一番有名でした。店は日本橋通三丁目の角で土蔵造りでした。その時分には印税の契約はしないで一冊大抵三四十円で原稿を買取つてしまふのです。作家はみんな生活に困つてゐたから本屋から前借をしてゐました。ですから一冊いくらだと云ふはつきりした掛合もしなかつたわけです。著作権だの出版権だのとそんなむづかしい話は作者と本屋との間にはまだ起らなかつたのです。その時分には本屋の態度も純然たる商人で今日の岩波のやうに日本の文化を背負つて立つのだと云ふやうなえらさうな顔をしてゐるものは一人もありませんでした。
 版権のことがそろ/\面倒になり初めたのは明治三十五六年(?)に紅葉山人の死後直にその全集が博文館から発行されたころからのやうです。紅葉先生の著作は初から晩年の金色夜叉に至るまで皆春陽堂から出てゐたのですが、全集は重に巌谷小波先生が編纂されたやうな事から博文館から出版されました。(小波先生は当時博文館編輯局の総長でした。)それから高山樗牛の全集が出版されたが此れも博文館から出ました。然しその著作の中で「瀧口入道」その他二三のものが春陽堂から出てゐるのですが春陽堂でも別に苦情は云はなかつたさうです。後年私の全集が春陽堂から出た時「あめりか物語」と「ふらんす物語」とが初博文館の出版であつたにも係らず博文館から苦情を云はなかつたのは瀧口入道や金色夜叉などを無断でそれ/″\の全集に編入した弱身が在つた為だと云ふ話です。それですから震災後改造社が一円全集本に私の「あめりか物語」を入れて出すと忽版権侵害の苦情を云立て裁判沙汰にすると云ふ騒になつたのです。
 博文館から著作を出版させて其為に後でゴタ/\したのは私ばかりではありません。北原白秋も迷惑をしたことがあつたやうです。巌谷小波先生は館主大橋新太郎とは友人の関係もあつたし三十年間も編輯局に居ら…

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