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屋根の上
やねのうえ
作品ID60434
著者原 民喜
文字遣い新字新仮名
底本 「原民喜童話集」 イニュニック
2017(平成29)年11月15日
初出「近代文学」近代文学社、1951(昭和26)年8月号
入力者竹井真
校正者砂場清隆
公開 / 更新2023-11-15 / 2024-01-29
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 かちんと、羽子板にはねられると、羽子は、うんと高く飛び上ってみました。それから、また板に戻ってくると、こんどはもっと思いきって高く飛び上りました。何度も何度も飛び上っているうちに、ふと羽子は屋根の樋のところにひっかかってしまいました。はじめ羽子はくるっと廻って、わけなく下に飛び降りようとしました。しかし、そう思うばかりで、身体がちょっとも動きません。
 しばらくすると、下の方では、また賑[#ルビの「にぎ」は底本では「にぎや」]やかに、羽子つきの響がきこえてきました。別の新しい羽子が高く舞い上っているのです。
「モシ モシ」と、樋にひっかかっている羽子は、眼の前に別の羽子が見えてくるたびに呼びかけてみました。しかし、それはすぐ見えなくなって、下の方におりてゆきます。
「モシ モシ」「モシ モシ」何度よびかけてみても、相手にはきこえません。そのうちに下の方では羽子つきの音もやんでいました。
「もう、おうちへ帰ろうッと」という声がして、玄関の戸がガラッとあく音がしました。あたりは薄暗くなり家の方では灯がつきました。樋にひっかかっている羽子はだんだん心細くなりました。屋根の上の空には三月が見え、星がかがやいてきました。とうとう夜になったのです。ああどうしよう、どうしよう、どうしたらいいのかしら、と、羽子は小さなためいきをつきました。
 星の光はだんだん、はっきり見えて来ます。空がこんなに深いのを羽子は今はじめて知りました。一つ一つの星はみんな、それぞれ空の深いことを考えつづけているのでしょう。一つ二つ三つ四つ五つ……と、羽子は数を数えてゆきました。百、二千、三千、いくつ数えて行っても、まだ夜は明けませんでした。夜がこんなに長いということを羽子は今しみじみと知りました。
 今あの羽子板の少女はどうしているかしら、と羽子は考へました。眼のくりくりっとした、羽子板の少女の顔がはっきりと思い出せるのでした。羽子板は今、家のなかに静かに置かれていることでしょう。羽子は、あの羽子板の少女がとても好きなのでした。もう一度あの少女のところへ帰って行きたい。あの少女も多分、僕のことを心配しているだろう、と羽子は思いました。
 一つ二つ三つ四つ五つ……羽子は何度もくりかえして数を数えてゆきました。
 東の方の空が少しずつ明るんできました。やがて、雲の間から太陽が現れました。薔薇色の雲の間から洩れて来る光は、樋のところの羽子を照らしました。すると、羽子はまた急に元気が出てくるのでした。



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