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追悼記
ついとうき
作品ID60446
著者原 杞憂 / 原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「三田文學 第九十四巻 第一二二号 夏季号」 三田文学会
2015(平成27)年8月1日
初出「草茎」草茎社、1939(昭和14)年2月号
入力者竹井真
校正者村並秀昭
公開 / 更新2022-10-25 / 2022-09-26
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 先頃、この四五年間の手紙を整理してゐると、井上五郎・澄田廣史・兒玉孤舟君など、故人になつた人の書簡が出て来て感慨を新たにされた。澄田廣史君など死ぬる前まで、希望に満ち計画に溢れた、元気のいい端書であつた。若くして死ぬる人は、大概気が頑りつめて居る絶頂なのかもしれない。さう云へば、黒川俊子嬢の封筒も四五通出て来て、更に儚い気持がした。家内宛の手紙であるが、綺麗なレターペーパーに、つつましい文字で、こまごまと学窓生活の消息が述べてあるのだ。女学校の修学旅行の際などは、旅行日程が一枚の紙に罫を引いて精密に記入してある。専問学校時代の便りとなると、折にふれてこの感激が素直に述べられてある。
 私は一昨年の六月、大魚氏の宅で、ただの一度、黒川俊子嬢を見たのであるが、その折私は酔つてはゐたし、どんな風な人であつたかも、今から思ふと朧である。けれども、私の家内は黒川俊子嬢とは浅からぬ因縁があり、非常に秀才だといふ噂を兼てから聞かされてゐた。読書好きで、石坂洋次郎の『若い人』の上巻を一日で読み上げたといふ話も聞かされたが、私はその本を二日がかりでなければ読めなかつたので、何だかかなはないやうな気持がした。

 黒川俊子嬢は広島県豊田郡本郷町の出身で、尾道高等女学校を卒業して、東京共立女子専門学校本科二年在学中、昭和十三年十月二十五日倉敷病院で腹膜のため亡くなつたのである。十九歳の秋をもつて生を畢つたのである。
 両親は退院後の静養のため、座敷を新築中であつたし、本人も死際まで、「生きたい、生きたい」と云ひつづけてゐたときく。学校の成績も首席だつたし、希望と頑りに満ちたままの、短い生涯であつた。
『艸ぐき』第三巻第九号と第四巻第一号に俳句がある。
朝風に桔梗の色は清々し
傷兵の白衣縫ひつゝ日短し
 今も私の家には、彼女が手芸で造つた薔薇の花が、一輪挿へ佗しく残つてゐる。
 黒川俊子嬢の追悼文なら、他に適任者もある筈だが、私は私で思はず筆を運んでしまつた。私の姉も腹膜で死んだし、私の小学時代にやはり黒河といふ才媛がゐたが、それも女高師を卒業すると死んでしまつた、――こんなことがらが哀悼の気持をよぶのかもしれない。



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