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昔の店
むかしのみせ
作品ID60449
著者原 民喜
文字遣い新字新仮名
底本 「原民喜戦後全小説」 講談社文芸文庫、講談社
2015(平成27)年6月10日
初出「若草」宝文館、1948(昭和23)年6月
入力者竹井真
校正者砂場清隆
公開 / 更新2021-11-15 / 2021-10-27
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 静三が学校から帰って来た時、店の前にいた笠岡が彼の姿を認めると「恰度いい処へお帰りね、今、写真撮ろうとしている処なのよ」と云って、早速彼を自転車の脇に立たせた。その時(それは明治四十三年のことであった)出来上った写真は、店先の自転車に凭掛っている静三の姿のほかは、誰もはっきり撮れていなかった。父も兄も他の店員たちも少し引込んだ場所に並んでいたため、写真ではその辺が真暗になり、みんな輪郭がぼやけている。人物はそのように不鮮明であるし、店の奥の模様も殆ど写されてはいなかったが、そのかわり、この朦朧とした写真は却って昔の雰囲気を懐しく伝えていた。まず、簷の上には、思いきり大きな看板が二階をすっかり目隠しするように据っていたが、その簷のところには四角形の大きな門灯もあり、それから、静三が立っている脇にも、軒から吊るす板看板が三つ四つ並んでいて、路上には台八車が一台放ってある。――写真に残されているそれらの部分から、静三は薄暗い店の奥の様子をこまごまと憶い出すことが出来た。……父や店員たちの並んでいた場所は、正面の土間の脇にあたる処で、その板の間にはズックや麻布が積重ねてあったが、往来に面した側は硝子張になっていて、埃によごれた硝子越しに、赤いメガホンや箒や物差が乱雑に片隅に立掛けてあるのがいつも外から眺められた。その反対側の、土間のつづきにあたる処に、秤や釘函や自転車の空気入れが置かれ、どうかすると、梱包のまま荷物がそこから道路の方へ喰み出していた。そして、そこのところに静三が凭掛っている自転車が停めてあった。正面の土間には、粗末な椅子が二三脚、板の間の上り口には、冬だと、真四角の大きな木の火鉢が据えてあった。
 馬車がその店先に停まると、忽ち土間のところは荷物で一杯になる。すると真上の天井板が二三枚、取はずされ、二階から綱がおりて来て、ほどかれた荷物はこの綱に括られ、するすると二階の方へ滑車で持上げられて行くのであった。静三にとっては、この二階からぶらさがって来る綱は、夜、店が退けてから、鞦韆のかわりになった。夜、ここは静三たちの遊び場であった。どうかすると、荷物は土間一めんにぎっしり積重ねられていて、天井まで届きそうなことがあった。そんな時、静三は荷物の山を見上げて何か歓呼を感じる。その薦包みの固い山を攀登って暗い天井の方へ突進して行くと、藁のにおいがふと興奮をそそる。見下ろす足許は深い谷底になっていた。静三が猛獣のように咆哮すると、弟の修造が下から這上って来る。二人は同じ空想に浸り、そして、神秘な、頭の蕊まで熱くなるような、冒険の一ときが過ぎて行くのであった。……写真に残っている板看板には、たとえば「帝国製麻株式会社取次店」とか「日本石油商会代理店」とかいう文字が彫込んであったが、それは夕方店を鎖す前に丁稚が軒から取はずし、朝毎にまた軒に取つけるのであった。…

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