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雲の裂け目
くものさけめ
作品ID60450
著者原 民喜
文字遣い新字新仮名
底本 「原民喜戦後全小説」 講談社文芸文庫、講談社
2015(平成27)年6月10日
初出「高原」鳳文書林、1947(昭和22)年12月20日
入力者竹井真
校正者広島さんさん
公開 / 更新2023-03-13 / 2023-02-28
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 お前の幼な姿を見ることができた。それは僕がお前と死別れて郷里の方へ引あげる途中お前の生家に立寄った時だったが、昔の写真を見せてもらっているうちに、庭さきで撮られた一家族の写真があった。それにはお前の父親もいて、そのほとりに、五つか六つ位の幼ないお前は眼をきっぱりと前方に見ひらいていて、不思議に悲しいような美しいものの漲っている顔なのだ。こんな立派な思いつめたような幼な顔を僕はまだ知らなかった。そういえば、お前と死別れて間もない頃、お前の母はこんな話を僕にしてくれた。
「あの子は小さい時から、それは賢くて、まだはっきり昨日のように憶い出せるのは、あの家から小川の方を見ていると、小さな子供達があそこで遊んでいるのです。そうすると、そこへ学校の先生が通りかかりになると、ほかの子たちは知らぬ顔しているのに、あの子だけが路の真中へ出て来て、丁寧にお辞儀するのです。先生も可愛さにおもわず、あの子の頭を撫でておやりになるのでした。」
 僕はそれから、自分の郷里に戻ると、久振りにこんどは僕の幼い姿を見ることができた。その写真も家族一同が庭さきに並んでいる姿なのだが、父親に手をひかれて気ばっているこの男の子は、もう自分の片割ともおもえないのであった。そのかわり久振りで見る亡父の姿はつくづくと珍しかった。ついこの間まで僕は父親というものを、ひどく遠いところに想像していた。ところが今度みる写真では、もう殆ど僕の手の届きそうなところに父親がいる。僕は土蔵の中から父の古い手紙を見つけると、警報の合間には憑かれたようにそれを読み耽った。
 僕の父は死ぬる半年あまり前に、病気の診断を受けるため、はるばる大阪へ赴いているのだが、その大阪の病院から母へ宛てた手紙が二三あった。止むを得ない周囲の事情のため多年宿痾の療養をなおざりにしていたことを嘆じながら、診断を受けてみると、もう手遅れかもしれぬと宣告されたときのことだ。何処からも見舞状もやって来ないし、父はよほど寂しかったのだろう。それで僕の父は母に対ってこう訴えているのだ。「お前様も漸く一通の見舞状を呉れただけ その文面にも只驚いたとの事ばかりにて 私の精神とお前様の精神は大変に相違して居るのに今更私も驚く外はない 小児が多くて多忙ではあろうが毎日はがきなり又二日に一度なり手紙を下さらぬか 病室には只一人で精神の慰安は更にない」
 はたして、これが五十を過ぎた男がその妻に送った手紙なのだろうか、夫婦というものの微妙さに僕はすっかり驚かされてしまった。そして、僕はすぐにこれをお前に読ませたくなると、まるでお前がまだ何処かこの世の片隅に生きているのではないかという気がした。僕はこれを読むときのお前の顔つきも、その顔つきを眺めている僕自身の顔つきまですっかり想像できるのであった。だが、こういう空想に浸っている時でも、僕は自分のいる家が猛火につつ…

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