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「続スウィス日記」発掘の始末
「ぞくスウィスにっき」はっくつのしまつ
作品ID60466
副題附「スウィス日記」の由来
ふ「スウィスにっき」のゆらい
著者小島 烏水
文字遣い新字新仮名
底本 「スウィス日記」 平凡社ライブラリー、平凡社
1998(平成10)年2月15日
初出「スウィス日記」梓書房、1930(昭和5)年
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2021-12-13 / 2021-11-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 故辻村伊助の「スウィス日記」と「続スウィス日記」とを、一冊に合刊して、世に出すことになった。「スウィス日記」の方は、日本山岳会設立以来、第十周年に、雑誌『山岳』の記念号を出したとき(大正四年九月、第十年第一号)から掲載し始め、通計四号分に亙って分載されたのを、単行本に纏めて、大正十一年に、紅玉堂書店(横山光太郎氏)から出版したのであったが、此本は、ジュネーヴ湖から、シャモニイ、ローンの谷々、ユングフラウ、メョンヒ登山等、巻中の精彩ある部分、全巻の四分の一以上を、割愛してあった、それすら、今日では、既に絶版本として、市価も高く、且つ容易に手に入らぬ品になったので、複刻を求めらるる向きも多く、旁々前述の削除部分を、全部採録し、更に新たに発見された「続スウィス日記」をも合刻して、完本とすることにした。
『スウィス日記』が、日本の山岳文献に占める位置は、可なりに重要なものであると思う、日本近代のアルピニストが、スウィスの山を恋う心は、王朝に於ける、宗教全盛時代の求法者が、天竺を慕う心にもまして、熱情的なものである、それを逸早く実現したのは、前に日本山岳会員加賀正太郎氏あり(明治四十三年八月)後に辻村伊助、近藤茂吉氏等の一行であった(地理学者、故大関久五郎氏は、大正元年九月二十四日、ユングフラウ峰に登られたということである)しかも、辻村の一行は、四千米突以上へ達したので、本朝のアルピニストにして、後にアルプスに驍名を馳せられた人々に、槇有恒、松方三郎、浦松佐美太郎、其他の諸氏ありと雖も、辻村等は卒先者であり、『スウィス日記』は始めて書かれた日本人の、アルプスの本であった。
『スウィス日記』に書いてある事実は、本文を読めば解ることだが、辻村は大正三年七月下旬、北の国スカンディナビヤの旅を終り、独乙から、あこがれの瑞士へ入って、恰度倫敦から巴里を経て来た近藤茂吉氏と、インタアラーケンのベルネルホッフという宿で落ち合い、登山の相談をして、七月二十九日には、準備を整え、前に加賀氏の雇われたヘスラアという案内者の外、フォイツという男をも加えて、グリンデルワルドまで車行し、当初の目的なるグロース・シュレックホルン(四〇八〇米突)の登攀にかかり、天候不良のため小舎に二泊し、八月一日の午前二時に出発、十一時半に絶頂に達し、下山の途中雪なだれに出ッこわし、三時間も要して登った路を、僅か二分で押し流されたが、幸いに怖ろしいクレッヴァスを飛び越して、氷河の終端に投げつけられ、一行四人は、九死に一生を得たが、近藤氏とヘスラアは、揃って右足を挫折し、辻村は全身打撲傷を蒙むり、山下に担ぎ込まれて、病院で治療をした、絶頂をきわめた歓喜の、下り坂に遭難して、「歓楽極まって哀情生ず」る光景は、なんと、ウイムパアのマッタアホルン下山の途次に起った悲劇にも、似ているところがあるではないか。
 本文には書…

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