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ここに薔薇ありせば
ここにばらありせば
作品ID60470
副題スケッチ・ブックより
スケッチ・ブックより
著者ヤコブセン イエンス・ペーター
翻訳者矢崎 源九郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「ここに薔薇ありせば 他五篇」 岩波文庫、岩波書店
1953(昭和28)年7月25日
入力者かな とよみ
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2024-04-07 / 2024-04-03
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ここには薔薇が咲いたにちがいない。
 大きなうすい黄色の薔薇が。
 そして、それらの薔薇は庭の塀の外にまで豐かな群りをなして垂れ下がり、その柔かな葉を道の轍の上に氣もなさそうに撒き散らしていたにちがいない。塀の中には溢るるばかりに咲きこぼれたありとある花の群の優雅な輝き!
 そしてほんのりと掠めゆく、とらえがたい美しい薔薇の香り、夢の中に感覺の生みだす見知らぬ果實にも似た香り!
 それとも薔薇の花は赤い色だろうか?
 きっとそうかもしれない。
 小さな丸い、丈夫な薔薇かもしれない。輕い蔓をのばして垂れさがり、つややかな葉をつけた、赤い新鮮な薔薇なんだろう。街道を疲れきって、埃にまみれながら歩いてきて、ローマまであともう少しだと喜んでいる旅人への挨拶か接吻のようなのだ。
 旅人は何を考えているのだろう? 暮しのぐあいはどんなだろう?
 それで、――いま旅人は家々に隱されてしまった。それらはあらゆるものをその背後に隱している。互に隱し合い、道をも町をも隱している。だが、別の方へは眺めがきく。そこには道が不活溌にのろのろと曲りくねって、流れの方へ、物悲しげな橋の方へと下って行く。そしてそのうしろには、ふたたび、いとも廣大なカンパーニャ平原がひろがっている。
 そんな大きな平原の灰色と緑色……それはまるで骨の折れる幾マイルもの旅の疲れがそこから立ちのぼってきて、人の上に重たくのしかかり、孤獨な見捨てられた想いをさせ、何かを求めあこがれさせるかのようだ。だがそんなときには、空氣があたたかく穩かで物靜かな、庭の高い塀の間のこのような片隅で、日のあたる側にのどかに腰を下ろす、そこには壁龕みたいな所にベンチが一つ曲げこんで置いてある、そこに腰を下ろして、街道の溝に生えている輝くばかりの緑のアカントゥスを眺めたり、銀の斑點のあるあざみや、色あせた黄色い秋の花々を眺めたりする方が遙かにいい。
 ちょうど向う側の長い灰色の壁の上にも、蜥蜴の穴や枯れた壁草の生えている割目だらけの壁の上にも、そこにも薔薇は咲いていたにちがいない。それからまた、長い單調な平野が立派な昔の鍛冶仕事を示す膨れ上った大きな格子籠に、胸の高さよりもっとある廣いバルコンをなしている格子籠に中斷されている所にも、咲き出ていたことだろう。閉じこめられた庭園にあきあきしたとき、そんな所へ上って行ったら、どんなにか爽やかなことだろう。
 實際人々はしばしばそこへ上って行ったのだ。
 人々はこの壁の中にあるにちがいない、大理石の階段や太織の絨氈のある、華麗な古い邸を憎んだものだ。誇らしげな黒い冠をいただいた年老いた樹々、松、月桂樹、トネリコ、サイプラス、西洋ひいらぎ、それらは成長して行く間じゅう憎まれどおしだったのだ。それは、不安な心が、ありふれたもの、慣れきったもの、事件のないものに對して感じるあの憎しみ、共にあこが…

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