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竜と虎
りゅうととら
作品ID60533
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「人情武士道」 新潮文庫、新潮社
1989(平成元)年12月20日
初出「キング増刊号」大日本雄辯會講談社、1940(昭和15)年4月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-06-22 / 2024-06-16
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 性が合わぬというのはふしぎなものである。西郡至は学問もよくでき、武芸も岡崎藩中で指を折られる一人だった、いえがらは三百石の書院番で、人品も眼に立つほうだし人づきあいも決して悪くない、寧ろどちらかと云えば寡黙で、謙虚で、愛想のよい方である。……灰島市郎兵衛にしても同様、五百石の作事奉行で、年齢はもう五十一歳、長男の伊織は近習番で役付きだし、娘の幸枝も十八歳の、もうそろそろ縁付く年頃になっている。少し頑固なところはあるが、親切な老人として若手のあいだには評判のいい人物であった。そういう風に、別々に離してみると二人ともごくよい人間なのだが、さて、……この二人がいちど顔を合せたとなるとまるでひと柄が違ってしまう、二人が同座するとたんに、必ずといってもよいほどなにかしら口論がもち上るのであった。
 つまり性が合わぬというやつである。どちらがどうというのではなくしぜんに、と云うのは変だが、実のところ極めて自然に、何か彼にか口諍いが始るのだ。それでいて、蔭では二人とも相手を推称しているのだから、その関係はなんともふしぎなものであった。市郎兵衛はそれに就いて自ら、――是はつまり臍の問題だ、と云っていた。――臍には性格があって、曲ったのや歪んでいるのや、大きいのや小さいのや色々とある、臍には他人のそら似というものがない。由来人格というやつは陶冶して之を高めることも出来るが、臍は天然のものなので持って生れた性格は終生変ることがない、西郡至は人間としては頗る為す有るやつだが、臍が捻くれているから儂とはどうしても性が合わぬのだ。そう云うのであった。
 元禄十五年七月十二日、三河地方は大暴風雨に襲われ、矢矧川の堤防が六百五十間も決潰し、九千五百石あまりの田地を流した。直ちに作事奉行灰島市郎兵衛が命を受けて、復旧工事に着手したが、そのとき事務上の加役として、八木次郎太と西郡至の二名を選んだ。事務上の加役だから秘書のようなものだ、八木次郎太は才子はだの若者でいかにもそれに相わしいが、西郡至を選んだというのが誰にも分らなかった。西郡は為す有るやつだと、日頃から蔭で褒めているくらいなので、なにか考えるところがあったのだろうが、果してこれが無事に納ってゆくものかどうか、まわりの人たちはそれを疑うというよりも、いまにきっと始まるぞという興味の眼をみはっていた。
 城北、上里に灰島家の別墅がある。市郎兵衛は八月はじめ、その別墅を工事支配の仮り役所にしてひき移り、城下から通勤して来る西郡至と八木次郎太の二名を助手にして、自分はそこに起居しながら工事を督励していた。
 ――いまになにか始まるぞ。
 という人々の期待ははずれなかった。二十日ほどはなに事もなく過ぎたが、九月に入る頃からそろそろあやしくなりだし、やがていちど、にど衝突が始まった。十月はじめの或る午後のことである。市郎兵衛が左手に図面…

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