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音楽時計
おんがくどけい
作品ID60539
著者室生 犀星
文字遣い新字新仮名
底本 「性に眼覚める頃」 新潮文庫、新潮社
1957(昭和32)年3月25日
初出「少女の友 第十四卷第一號」實業之日本社、1921(大正10)年1月1日
入力者hitsuji
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2021-08-01 / 2021-07-29
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 階下では晩にさえなると、音楽時計が鳴りはじめた。ばらばらな音いろではあるが、静かにきいていると不思議に全てがつながれ合った一つの唱歌をつづり合してきこえた。昨日も今夜も、毎日それがつづくのである。ネジがなくなるにしたがって、音色が次第に物憂くだるい調子になって、しまいには、まるで消えてしまうように何時の間にか止むのである。あとはしんとした小路の奥の、暗い椎の垣根をめぐらした古い家が、何一つ音もなく降りつづく雨にとざされているのであった。
「お母さん……」
 又その弱々しい腹のそこから出たような声音が、二階のわたしの机のそばまで聞えた。わたしはその声を耳に入れると、梯子段を下りて茶の間をあけた。
 そこには痩せて小さくなった白瓜のような顔が、ひくい電燈の光をうけて、すぐ私のほうを眺めた。病めば病むほど大きくなった瞳孔が澄んで懶げに私のかおにそそがれた。
「いまね、お母さんが通りへ買いものにいらしったんです。だから用事があるなら言ってごらん。」
 私はそう言って覗き込むと、小さい病人は黙って目をつむってしまった。物言うことも厭なような疲れた顔をしていた。
「言ってごらん。また遠慮をしているんでしょう。」
 そのとき小さい病人はまたぽっかりと目をあけて私のかおを見た。そしてにっと柔しく微笑んで見せて、ちいさな声で、
「時計にネジをかけて下さいな。」と言って弱い竹紙のような微笑んだ皺を頬にあらわした。
「あ、そうか、少しも気がつかなかった。」
 私はすぐネジを巻きはじめた。その手つきを病人は愉しそうに見つめていたが間もなく音楽時計がいつもと同じい調子で鳴りはじめた。それは明るい華やかな曲がちょうどピアノのような美しい音と色とをもって、絶えず暗い一室にくりかえされた。
 と、子供の喜びそうな単純さと質朴さとを絶えず繰り返すのである。小さい病人は目をあけて、それを一心に楽しそうにきいていた。そして、しまいには熱そうな小さい腕を床のなかから辷り出して、
「お母さんは遅いわね。」と突然に病人が言い出して病的に涙ぐんだ。妙に音楽にでも誘われたような柔しくうっとりとしたような声であった。
 階下からだるい声でよくこう呼ばれたが、おかみさんは通りへ買物にでかけたあとなので、誰も返事がなかった。雨の音だけが屋根をたたいていて、その小さい病人のだるい声をひびかした。雨の日は妙に人声が重く響くものである。
「お母さん……」
「もう十分も経つとね。」
 私はどう言っていいか分らなかったので、気やすめにそう言ったとき、病人はまた突然に、
「雨がふっていて?」
 そう私のかおを見つめた。低い、聞えるか聞えないかの程度で、そとは永い雨も終ろうとする微かな雨の音をつづけていた。
「すこし降っていますよ。あすになると晴れるでしょう。」
 病人はまた目を閉じてしまった。時計はだんだんネジのゆるむに…

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