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春夫偏見
はるおへんけん |
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作品ID | 60583 |
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著者 | 直木 三十五 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「文藝春秋 第四年 第十號」 文藝春秋社 1926(大正15)年10月1日 |
初出 | 「文藝春秋 第四年 第十號」文藝春秋社、1926(大正15)年10月1日 |
入力者 | sogo |
校正者 | 友理 |
公開 / 更新 | 2021-05-06 / 2021-04-27 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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◇少し何うも「文藝家の生活を論ず」は、得意のもので無さすぎる。餘り無さすぎて、私はそれを正すのに大して興味をもたないが、彼の名を信じて、このまゝこれを正義とする人があつたなら、その人は不幸であると思ふから、いかに支離滅裂であるかといふ事だけを手短かに書いてをく。それは救はれそうにもない春夫氏にでは無く――小部分でもあの論に賛成した人に對してゞある。
◇一は四五人の作家の稿料が高すぎるからもつと減じていゝ、といふのであるが、これに對しては、四五人を減じるよりも、それ以外の人をもつと高くしては何うかといふ論法と、一二種の雜誌の外、こんな稿料は支拂はないから全文こゝから出發しては論に成らないといふ事と、その高い稿料を支拂へる雜誌は支拂つていゝだけ儲けてゐるのだから、四五人の稿料を減じたとて、雜誌屋がその餘剩を四五人以外の人に施さない以上、むしろもつと高くとつて適當に散じた方がいゝで無いか、とでも云へば春夫の論は破れてゐる。「要求しさへすれば二十圓はくれる」といふ、狡るい雜誌屋を對手に、稿料を安くしたつて、誰の利益になるといふのか?
◇二の最初は論にならない。「社會全體に文藝の教養が行屆かないため今日文學面をしてをれる」といふのは、稿料を安くすれば文藝的教養が普及するといふ結論にならないから問題にしないでをく。次の「稿料が他の職業に對して高すぎる」といふのは何の職業に對してだか判らない、假に藝術家をとつてみると、俳優に較べて文學者が高いといふのか?一幅數萬金になる畫家に較べて一枚二十圓で高いのか。ぢつとしてをれば、だん/\日給が昇り、恩給がついたりする會社員、官吏に較べて、四五人の一流作家が五六年間二種の雜誌から月二十枚に對して二十圓づゝ取るのが不當だといふのか?親讓りの金で好みの家を建てゝゐる春夫など「他の職業」の事が判つてゐるのか何うか、無暗に「他の職業」に較べてゐるが、何を標準に收入の過不足を云ふのか見當がつかない。
◇次の文章の「月千圓の收入ならいゝだらう、それ以上は要るまい」に至つては、幾人の作家が毎月千圓づゝの收入があり、それが幾年つづくと考へてゐるのか?、總ての文學者は春夫の如く夫婦二人暮らしで三萬圓の家を建てるやうな財産は無いのだから、もう少し丁寧に親切に考へてやるがいゝ。誰が二十八から五十まで三人家族のまゝで月千圓づゝの收入を得た小説家が?一人でも有つたら云ふがいゝ。三五十萬の發行部數の雜誌から一人や二人の作家が一枚五十圓づゝ稿科を[#「稿科を」はママ]とつたつて、何が文藝家の恥辱になるのか?、この不思議な議論は、佐藤春夫だけが藝術家で、他の多くは「稿科の[#「稿科の」はママ]多い事より外に樂しみを知らない」といふ、久世山から牛込を見下ろしたやうな世の中の見方で、春夫の偏見と据傲で正氣の沙汰でないやうである。
こゝから三に亘つて「他の職業に…