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女教邇言
じょきょうじげん
作品ID60594
著者津田 梅子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「女學生の栞」 博文館
1903(明治36)年6月7日
入力者かな とよみ
校正者officeshema
公開 / 更新2022-08-16 / 2022-07-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

女子教育上の意見としては別段に申上ることも御在ませんが、唯だ私が一昨年の春此の女子英學塾を開いてから以來、種々今日の女子即ち女學生に就て經驗した事がありますから、それを少し御話して大方の教を乞はんと欲するので御在ます。
私の塾は御存知の通り高等女學校卒業以上の程度の者を入學せしめるので、女子の普通教育はまづ終つたものと見なければなりません。年齡も十六七以上、一通り學問をして其の學問を家政なり、何なり日常處世の上に應用がして行ける筈でありますが、實際に就て見ますると種々遺憾の點があるやうです。まづ何よりも原書の讀書力に乏しいのは意外でありました。それで授ける讀本は難しいのかといふのに、决してさう難しい書物ではありません。西洋では高等小學校の程度位でせう。その樣な易い書物に向つても意味が容易に取ない、尤も唯だ直譯して行く時はどうか解つて居るらしいが、後で如何な意味かと糺して見ると殆ど解つて居ないやうである。是では實に仕方がない、其故私は生徒に向つて常々斯う申して居ります。何事も自分で研究して御覽なさい、研究して見て自分で難問を解釋するやうに爲さい。これは強ち讀書のみに限りません。何事も自分で勇氣を起し、難しい事でも分らない事でも何でも自分が主に成てする氣でなければ决して物は上達しません。どうも今日の女學生には兎角、自主獨立といふ心に乏しいであります。私の考では今日學生に物を教ゆるにしても、一度教へて忘れた處があれば、再度教へる、又忘れた所があれば又教へるといふやうな教授法では中々其の成効が覺束ないと思ひます。まづ書物で言へば一度教へた處は二度教へない、能く熟讀させて見て、どうしても解らなかつたならば、其の時は教へやう。又作文にしても間違つた處があれば唯だ印を附けて置く丈で、滅多に間違の點を説明して聞かさない。再三再四自分で研究して熟考して來た上で愈々解らねば其時始めて其の理由を説明して聞かす位にして置くのであります。斯樣にすれば自分の發明心を養成し、事物に向つて注意力を熾んにするやうになりませう。即ち學生の自營心を養ひ獨立心を養ふ所以でありませう。
次に申したいのは責任を自から知るといふの點であります。英學塾の寄宿舍には唯今五十名足らずの生徒が居ます。これは家族的でありまして其の主義は全く放任主義併し放任主義と申しても决して氣儘放題にして置くといふのではありません。其の放任主義の中には自營獨立の精神が籠つて居ます。成程私の塾には規則と申しても唯だ何時に寢る、起るといふ丈で、其外に之を守れ、これを行へといふやうな命令的の事は更に申さないが、其の代り、何事も自營獨立の精神を籠めて遣つて貰ひたい。塾は家族的の組織であるから各人共同の物である、塾生は此處を自分の家と心得て何事も自分に責任を持つて遣らねばなりません。一體多數の人が集つて一家を組織すれば自然の勢として多數人…

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