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近代美の研究
きんだいびのけんきゅう
作品ID60626
著者中井 正一
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の美」 中公文庫、中央公論新社
2019(令和元)年11月25日
初出現代における美の諸性格「理想」理想社、1934(昭和9)年7月号<br>機械美の構造「思想」岩波書店、1929(昭和4)年4月号<br>スポーツ気分の構造「思想」岩波書店、1933(昭和8)年5月号<br>近代美と世界観「映画芸術」1946(昭和21)年12月号<br>思想的危機における芸術ならびにその動向「理想」理想社、1932(昭和7)年9月号
入力者kompass
校正者染川隆俊
公開 / 更新2023-02-14 / 2023-02-10
長さの目安約 112 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

現代における美の諸性格






 教権による重い刑罰によって脅かされたにもかかわらず、地球の自転がついに人類の真実として獲られたことは、思想的歴史の上に深い意味をもっている。このことがまたやがて客観と主観、したがって主体の問題に世界観的変革をもたらす契機ともなったといえるであろう。そのために七年間を獄舎に過し、ついに言をひるがえさずして火刑に処せられしジォルダーノ・ブルーノの natura naturans, natura naturata. の概念は、あたかもスコラ的思想を近代的思想に導く橋梁の重心的支点ともなったと思われる。
 コーヘンが指摘するように、カントのコペルニクス的転回によって、スコラ哲学における主観客観の概念は根底的に逆に組織づけられたとも考えられよう(H.Cohen : Kants Begr[#挿絵]ndung d. Aesthetik S. 103―4)。スコラ的考えかたにおいては客体は主体によって造られるものであり、地的なものはすべて地上的なるもの(ens creatum)であり、一つの不完全なる影の世界である。しかるに地的なるものと地上的なるものが、世界観の変革と共に、空間的解体によって崩壊し、自然の基礎にはむしろ数学的秩序が主宰し、宗教的神秘的主体性が排除されるにいたったのである。このことは世界図式的に人類思想史の根底的動揺でなければならない。この自然的経験の数学的秩序による基礎づけの方向において最も類型的なものは、すなわちデカルト、スピノザ、ライプニッツ、カントをつなぐ線であろう。しかし、デカルトにおいても、ハイデッガーに指摘さるるように、ego cogito はいまだ ens creatum としての実体性を脱却しえず、また新カント派によって修正されたごとく、カントにおいても主観の心理性が残留していたのである。存在論が Existenz の考えかたをもってこの実体性をより深い分解にまでもたらし、新カント派が Funktion の考えかたをもって心理性を解体したのも、実にこのコペルニクス的転回の方向にそうところの遠き延長であるといえよう。



 動かざる客観が主体的理念の陰影的所産であるという古い世界観より、時間的に流動する主観がむしろ経験的客観的世界を一つの軌範の上に構成するのであるという世界観に転回することは、正に画期的であり人心にとって激しいショックであったに違いない。この転向が自由通商主義と市民文化の実践の発展的段階にそっていることは注意されなければならない。この新しい世界観が取りあげたまず新たな刺戟的な感覚は純粋あるいは絶対という形容詞句のもつ世界感において見られるのである。カントがそれを究極にまで検討することによって完成されし人間理性のもつ自律性の軌範がこの形容詞の中に潜められているのである。教権的独断を切り…

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