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買出し
かいだし
作品ID60628
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年8月20日
初出「中央公論 第六十五年第一号」中央公論社、1950(昭和25)年1月1日
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-01-28 / 2022-02-11
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 船橋と野田との間を往復している総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出をする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言うとなく買出電車と呼ばれている。車は大抵二、三輛つながれているが、窓には一枚の硝子もなく出入口の戸には古板が打付けてあるばかりなので、朽廃した貨車のようにも見られる。板張の腰掛もあたり前の身なりをしていては腰のかけようもないほど壊れたり汚れたりしている。一日にわずか三、四回。昼の中しか運転されないので、いつも雑沓する車内の光景は曇った暗い日など、どれが荷物で、どれが人だか見分けのつかないほど暗淡としている。
 この間中、利根川の汎濫したため埼玉栃木の方面のみならず、東京市川の間さえ二、三日交通が途絶えていたので、線路の修復と共に、この買出電車の雑沓はいつもよりまた一層激しくなっていた或日の朝も十時頃である。列車が間もなく船橋の駅へ着こうという二ツ三ツ手前の駅へ来かかるころ、誰が言出したともなく船橋の駅には巡査や刑事が張込んでいて、持ち物を調べるという警告が電光の如く買出し連中の間に伝えられた。
 いずれも今朝方、夜明の一番列車で出て来て、思い思いに知合いの農家をたずね歩き、買出した物を背負って、昼頃には逸早く東京へ戻り、その日の商いをしようという連中である。どこでもいいから車が駐り次第、次の駅で降りて様子を窺い、無事そうならそのまま乗り直すし、悪そうなら船橋まで歩いて京成電車へ乗って帰るがいいと言うものもある。乗って来た道を逆に柏の方へ戻って上野へ出たらばどうだろうと言うものもある。やがてその中の一人が下におろしたズックの袋を背負い直すのを見ると、乗客の大半は臆病風に襲われた兵卒も同様、男も女も仕度を仕直し、車が駐るのをおそしと先を争って駅のプラットフォームへ降りた。
「どこだと思ったら、此処か。」と駅の名を見て地理を知っているものは、すたすた改札口から街道へと出て行くと、案内知らぬ連中はぞろぞろその後へついて行く。
「いつだったか一度来たことがあったようだな。」
「この辺の百姓は人の足元を見やがるんで買いにくい処だ。」
「その時分はお金ばっかりじゃ売ってくれねえから、買出しに来るたんび足袋だの手拭だの持って来てやったもんだ。」
「もう少し行くとたしか中山へ行くバスがある筈だよ。」
 こんな話が重い荷を背負って歩いて行く人達の口から聞かれる。
 十月初、雲一ツなく晴れわたった小春日和。田圃の稲はもう刈取られて畦道に掛けられ、畠には京菜と大根の葉が毛氈でも敷いたようにひかっている。百舌の鳴きわたる木々の梢は薄く色づき、菊や山茶花のそろそろ咲き初めた農家の庭には柿が真赤に熟している。歩くには好い時節である。買出電車から降りた人達はおのずと列をなして、田舎道を思い思い目ざす方へと前かがまりに重い物を負いながら歩いて行く。その身なりを見ると言合せたよ…

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