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細雪妄評
ささめゆきぼうひょう
作品ID60630
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年8月20日
初出「中央公論 第六十二年第十一号」中央公論社、1947(昭和22)年11月1日
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-07-30 / 2023-07-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか否かを見て、これを言えば概して間違いはない。
 人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心に印象を留める力がある。作者はその人物を空想より得来ったか、或はモデルによろしきを得たか否かは、深くこれを追究するに及ばない。
 谷崎君の長篇小説「細雪」は未完ではあるが、既に公刊せられた上中の二巻を読んで、わたくしはその人物のさして重要でないものに至るまでその面目は皆活けるが如く躍如としているのに驚かされた。(篇中なにがしと云う下女の如き、或は隣家に住む独逸人の家族の如き、白系露国人の老婆の如き皆躍如としている。)
 曽てわたくしは小説作法なるものを草して、小説をつくろうとする青年に示して、小説述作の基礎とすべきものは人物に対する観察と、全篇を構成すべき思想とである事を説いた。而してこの二事はその熟すべき時間を待たねばならない。速急には為し得べきものでない事を併せ論じた。
「細雪」を見るに、作者がこの一篇をなすに当って多数なる人物の観察と、つづいてその構想とに、かなり長い歳月を必要としたことが推察される。戦争中その上巻の公表よりして今日に至るまでの歳月を数えても既に五年を閲している。
 細雪の作風は純然としてまた整然として客観的の範囲を厳守している。明治以来わが現代の小説中、その作風のかくの如く整然として客観的なるものは未だ曽て見られなかった。田山花袋一派の作者が一時小説に客観的作風の重んずべきを説いたことがあったが、その作例には却ってこれが証となすべきものを示すことが出来なかった。その傑作と称せられる「蒲団」の如きも、今日よりこれを観れば純然たる客観的作品となすには作者の態度において欠くるところが尠くなかった。これに反して、「細雪」は余の見るところその客観的なることは蓋しフローベルの「ボワリイ夫人」、また「感情教育」の二大作に比するも遜色なきものであろう。
 元来客観を主とした長篇小説は布局に変化が少いので、動もすれば読者を倦ましめ易い。これを救うものは深刻なる心理描写を試むるに、洗練の極地に達した文辞の妙を以てするより外に手段がない。非凡なる文章家にあらざる限り、客観的長篇の小説は作り得られるものでない。二葉亭鴎外二家の著作は能くこれを証明している。
 谷崎君が初めて文壇に現れたのは、明治四十三、四年であった。歳月を閲すること四十余年である。その間に制作せられた諸名篇の中、その客観的手法を用いて目覚ましき成功を示したもの、この「細雪」に若くはない。
「細雪」の篇中、神戸市水害の状況と、嵐山看花の一日を述べた一節とは、言文一致を以てした描写の文の模範として、永遠に尊ばれべきものであろう。わたくしは鴎外先生の蘭軒伝の他に、その趣を異にした言文一致体の妙文を得たことを…

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