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出版屋惣まくり
しゅっぱんやそうまくり
作品ID60631
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年8月20日
初出「文藝春秋 第二十七巻第十一号」文藝春秋新社、1949(昭和24)年11月1日
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-04-15 / 2022-03-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文学書類を出版する本屋も私は明治三十四、五年頃から今日まで関係していることだから話をしだせば限りがないくらい沢山あります。文学者の方から見れば本屋というものは概して不愉快なものさ。口と腹とはまるでちがっている人間ばかりだから心持好く話はできない。文学者は初から一枚書けばいくらだと胸算用をして金のためばかりに筆を執るわけでもないんだから本屋と金の取引をするだけでも愉快ではない。
 明治時代には今日のように一冊について定価の幾割を取るというような印税の約束は一般には行われていません。(これは文学書類についての話で、辞書だの法律書だのの事は知りません。)明治の末年に小説を出す本屋は春陽堂、博文館、金港堂などが重なもので、今の新潮社の前名新声社はその頃からそろそろ新作家の作物を出しはじめたのです。初は神田錦町の神田警察署の側に店がありました。それから明治四十二、三年頃には市ヶ谷見附内から飯田町に移ったのです。春陽堂は紅葉露伴のものを出すので文学書肆の中では一番有名でした。店は日本橋通三丁目の角で土蔵造りでした。その時分には印税の契約はしないで一冊大抵三、四十円で原稿を買取ってしまうのです。作家はみんな生活に困っていたから本屋から前借をしていました。ですから一冊いくらだと云うはっきりした掛合もしなかったわけです。著作権だの出版権だのとそんなむずかしい話は作者と本屋との間にはまだ起らなかったのです。その時分には本屋の態度も純然たる商人で今日の岩波のように日本の文化を背負って立つのだと云うようなえらそうな顔をしているものは一人もありませんでした。
 版権のことがそろそろ面倒になり初めたのは明治三十五、六年(?)に紅葉山人の死後直にその全集が博文館から発行されたころからのようです。紅葉先生の著作は初から晩年の「金色夜叉」に至るまで皆春陽堂から出ていたのですが、全集は重に巌谷小波先生が編纂されたような事から博文館から出版されました。(小波先生は当時博文館編輯局の総長でした。)それから高山樗牛の全集が出版されたがこれも博文館から出ました。しかしその著作の中で「瀧口入道」その他二、三のものが春陽堂から出ているのですが春陽堂でも別に苦情は云わなかったそうです。後年私の全集が春陽堂から出た時「あめりか物語」と「ふらんす物語」とが初博文館の出版であったにも係らず博文館から苦情を云わなかったのは「瀧口入道」や「金色夜叉」などを無断でそれぞれの全集に編入した弱身が在った為だと云う話です。それですから震災後改造社が一円全集本に私の「あめりか物語」を入れて出すと忽版権侵害の苦情を云立て裁判沙汰にすると云う騒になったのです。
 博文館から著作を出版させてその為に後でゴタゴタしたのは私ばかりではありません。北原白秋も迷惑をしたことがあったようです。巌谷小波先生は館主大橋新太郎とは友人の関係もあっ…

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