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冬日の窓
ふゆびのまど
作品ID60637
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年8月20日
初出「新生 第二巻第二号」新生社、1946(昭和21)年2月1日
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-12-22 / 2021-11-27
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       ○
 窓の外は隣の家の畠である。
 畠の彼方に、その全景が一目に眺められるような適当の距離に山が聳えている。
 山の一方が低くなって樹木の梢と人家の屋根とにその麓をかくしているあたりから、湖水のような海が家よりも高く水平線を横たえている。
 これが熱海の町端の或家の窓から見る風景である。九月の初からわたくしは此処に戦後の日を送っている。秋は去り年もまた日に日に残少くなって行こうとしている。
 しかしわたくしの室にはまだ火鉢もない。けれども窓に倚る手先も更に寒さを感じない。日は眼のとどくかぎり、畠にも山にも空にも海にも、隈なく公平に輝きわたっている。思返すと、空の青さは冬になってから更に濃く更に明くなり、山は一層その輪廓を鮮かに、その重なり合う遠近と樹林の深浅とを明かにしたように思われる。初め熱海の山は樟と松のみに蔽われているように見られていたが、冬になってから、暗緑の間にちらほら黄ばみを帯びた紅葉の色が見え初め、日に増しその範囲がひろくなるにつれてその色もまた濃に染められて行く。
 目近く、窓の外の畠に立っている柿の紅葉は梅や桜と共にすっかり落ち尽し、樺色した榎の梢も大方まばらになるにつれ、前よりもまた一層広々と、一面の日当りになった畠の上には、大根と冬菜とが、いかにも風土の恵みを喜ぶがように威勢好くその葉を舒している。常磐木の茂りの並び立つ道の彼方から[#挿絵]の声がきこえる。
 わたくしは永年住み慣れた東京の家にいた時にも、毎年小春の日光に山吹の花の返咲きするのを見れば、いつも目新しく祖国の風土と気候とに関して、言い知れぬ懐しさと、それに伴う感謝の念を覚えて止まなかった。日本の冬の明さと暖さとはおそらくは多島海の牧神をしてここに来り遊ばしむるもなお快き夢を見させる魅力があったであろう。柿の葉は花より赤く蜜柑の熟する畠の日あたりにはどうかすると絶えがちながら今だに蟋蟀の鳴いている事さえあるではないか。
       ○
 過去日本の文学は戦闘の舞台として、屡伊豆の山と海とをわれわれに紹介している。その事実をわたくしは疑わない。しかし今わたくしが親しく窓から見る風景と、親しく身に感じる気候とは、かくの如き過去の記録をして架空な小説のようにしか思惟させない。それほどまでに、風景は穏に気候は軟かなのだ。わたくしは如何なる神秘な伝説をも、(もし在ったなら、)それを信ずるに躊躇しないであろう。美の女神エヌスの海上出現を希臘の海から、伊豆の浜辺に移し説くものがあっても、強ちそれを荒唐無稽だとは言わぬであろう。
 わたくしは昭和現在の時勢に阿ねる心でこれを言うのではない。日本の自然のあらゆる物は子供の時からそういう心持をさせていたのである。わたくしは既に幾度か、物に触れ時に感ずるたびたび、日本の風景草木鳥獣から感受する哀愁に就いて、古来の詩歌文学を例証とし…

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