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羊羹
ようかん
作品ID60639
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年8月20日
初出「勲章」扶桑書房、1947(昭和22)年5月10日
入力者入江幹夫
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-05-15 / 2022-04-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新太郎はもみじという銀座裏の小料理屋に雇われて料理方の見習をしている中、徴兵にとられ二年たって帰って来た。しかし統制後の世の中一帯、銀座界隈の景況はすっかり変っていた。
 仕込にする物が足りないため、東京中の飲食店で毎日滞りなく客を迎えることのできる家は一軒もない。もみじでは表向休業という札を下げ、ないないで顔馴染のお客とその紹介で来る人だけを迎えることにしていたが、それでも十日に一遍は休みにして、肴や野菜、酒や炭薪の買あさりをしなければならない。このまま戦争が長びけば一度の休みは二度となり三度となり、やがて商売はできなくなるものと、おかみさんを初めお客様も諦めをつけているような有様になっていた。
 新太郎は近処の様子や世間の噂から、ぐずぐずしていると、もう一度召集されて戦地へ送られるか、そうでなければ工場の職工にされるだろう。幸にこのままここに働いていて、一人前の料理番になったところで、日頃思っていたように行末店一軒出せそうな見込はない。いっそ今の中一か八かで、此方から進んで占領地へ踏出したら、案外新しい生活の道を見つけることができるかも知れない。そう決心して昭和十七年の暮に手蔓を求め軍属になって満洲へ行き、以前入営中にならい覚えた自動車の運転手になり四年の年月を送った。
 停戦になって帰って来ると、東京は見渡すかぎり、どこもかしこも焼原で、もみじの店のおかみさんや料理番の行衛もその時にはさがしたいにも捜しようがなかった。生家は船橋の町から二里あまり北の方へ行った田舎の百姓家なので、一まずそこに身を寄せ、市役所の紹介で小岩町のある運送会社に雇われた。
 一、二ヶ月たつか、たたない中、新太郎は金には不自由しない身になった。いくら使い放題つかっても、ポケットにはいつも千円内外の札束が押込んであった。そこで先洋服から靴まで、日頃ほしいと思っていたものを買い揃えて身なりをつくり、毎日働きに行った先々の闇市をあさって、食べたいものを食べ放題、酒を飲んで見ることもあった。
 夜は仲間のもの五、六人と田圃の中に建てた小屋に寐る。時たま仕事の暇を見て、船橋在の親の家へ帰る時には、闇市で一串拾円の鰻の蒲焼を幾串も買って土産にしたり、一本壱円の飴を近処の子供にやったり、また現金を母親にやったりした。
 新太郎は金に窮らない事、働きのある事を、親兄弟や近処のものに見せてやりたいのだ。むかし自分を叱ったり怒りつけたりした年上の者供に、現在その身の力量を見せて驚かしてやるのが、何より嬉しく思われてならないのであった。
 やがて田舎の者だけでは満足していられなくなった。新太郎は以前もみじの料理場で手つだいをさせながら、けんつくを食した上田という料理番にも、おかみさんや旦那にも、また毎晩飲みに来たお客。煙草を買いに出させる度毎に剰銭を祝儀にくれたお客にも会って見たくなった。進駐軍の兵…

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