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たちあな姫
たちあなひめ |
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作品ID | 60666 |
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著者 | 菊池 寛 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「菊池寛文學全集 第三巻」 文藝春秋新社 1960(昭和35)年5月20日 |
初出 | 「太陽」1919(大正8)年4月号 |
入力者 | 卯月 |
校正者 | 友理 |
公開 / 更新 | 2022-12-26 / 2022-11-26 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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十一月の終か、十二月の初頃でした。私は、その日珍しく社から早く帰って来ました。退社の時刻は、大抵六時――どんなに早くっても五時だったのですが、其日にかぎって、四時頃に社を出たように思います。
その頃は、江戸川縁の西江戸川町に住んで居ました。琴の師匠の家の部屋を借りて、妻と一緒に暮して居たのです。その日、私は社から帰って来ますと、久し振りで銭湯へ行きました。そして、ゆったりとした気持になりました。夕飯を喰べてしまったのが、七時頃でしたろうか。私は妻を連れて神楽坂へでも、散歩に行こうかと思いました。が、久し振りで湯に入った故か、何となく眠気がさして、此儘床に入って、肩の凝らない雑誌でも、読もうかと云う気にもなりました。丁度その時でした。自転車が、表で止まったかと思いますと「木村さん―電報!」と云う声を、聴きました。
『電報!』と云う声を聴く度に、私はいつも国に居る年の寄った両親の事が、電のように、頭の中に閃くのです。そして『父キトク』だとか『母キトク』などと云う文句が、ハッと胸を衝くのでした。だから、私は電報と云う声を聞いてから、それを受取る迄の短くはあるが、然し不快な焦躁の四五秒が可なり嫌でした。私は、その日も何時もの通り不快なショックを受けながら、配達夫の入って来るのを待ちました。まだ若い配達夫は、表の戸をガタ/\開けたかと思うと、
「木村さん、電話郵便です。」と、云いながら赤い小さい紙片を差出しました。何だ! 電話郵便かと、私は何時も電話郵便の配達夫が、電報の声を僣するのを、不当に思いましたが、それでもそれが電報でなくて電話郵便であるのを知ると、心が急に落着くのを覚えました。一体誰から来た何の用だろうと思いながら私は、その電話郵便を急いで読みました。
『キフヨウアリ、スグデンワニカカレ。』と、ありまして、発信人の番号は新橋の五七〇番で、それは紛れもなく私の勤めて居る新聞社の編輯用の電話でした。私は『おやおや。』と思いました。久し振りにいゝ心持になって、早くから寝ようとして居る所を、引張り出されては堪らないと思いました。一層のこと、何処かへ外出して居たことにして、十時を過ぎてから電話をかけ、わざと急用の間に合わないことにしてやろうかと、思いましたが、まだ社に入って一年にもならない頃でしたから、そんな狡猾なことを、やる勇気はありません。其上、急用と云われて見ると、何だか気がかりなので、私は不承不承で電話をかけに外へ出ました。が、電話をかける気にはなりましたものの、不当に呼び出された事に依って、可なり焦々して居ました。電話と云っても、その近所では半町ばかり行ったすし屋にあるばかりでしたが、そのすし屋とも僅かな顏馴染しかありませんでした。僅かな顔馴染で、電話を借りることは、一寸不快でしたが、それでも七八町もある自働電話へ行くのは、どう考えても業腹なので、私はや…