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怠倦
たいけん
作品ID60672
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「花火・来訪者 他十一篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年6月14日
入力者入江幹夫
校正者ムィシュカ
公開 / 更新2025-04-30 / 2025-04-26
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この春朝日新聞の紙上に「冷笑」と云う小説を書いていた時に、自分はその日の朝机に向って書き綴った自分の文章が、毎日毎日機械的に翌日の新聞紙に載っているものを見て、何となく自分もいよいよ小説家になった。作者になった。筆を家業にする専門家になったような心持がして何とも知れず一種の不安と不快とを覚えた。
 今度は意外にも学校の教室に立って文学と云うものを講義せねばならなくなった。人生、芸術、美、空想、感動、幻影なぞと云う言語を無暗と口にするのが義務でもあり、職業でもあるような心持がしてまたまた新しい不安と不快とを覚える。
 昨日まで市に隠れて人に知られず、ただ恣なる空想の世界に放浪していた当時には、人生と云い芸術と云い美と云う言語は如何に尊く懐しいものであったろう。何故ならばそれ等の言語はわが刹那刹那の感激によって我が目の前に閃き過る幻の影を捕えて、少くとも自分の生きている間は保存せらるべき記録を紙上に移して呉れる唯一の媒介者であったからだ。
 どうして自分は彼の時にはああ云う夢を見たか。どうしてその時にはそれを臆面もなく歌ったか。いかにするとも返っては来ぬ「時間」の隔離を振返って今更改めてそれを説明せよと云うこんな無慈悲な事はない、無理な事はない。
 もともと自分は己れを信ずる事のできぬ者である。自分は今までに一度だって世間に対して厚面しく何事をも主張したり教えたりした事はない。自分はただ訴えたばかりだ。泣いたばかりだ。しかし狂犬のように吠える事を欲せず、残の蟲の如くに出来得べくば聞く人の耳に逆わないようにと心掛けたばかりである。それも強いて耳を傾けてくれと強請ったのではない。もし聞いてくれる人があったら非常に感謝する代り、聞いて呉れないからとて怒りも悲しみもせぬ。釈迦や孔子や基督や、世界に二度現われない偉大な人物が人間と名のつくものは必ず耳を傾けてしかるべき彼れ程正しい道をば、あれ程熱心に献身的に説いて聞かしてさえも、人間は一向に良くなって行くような様子を見せないではないか。いつも相変らず罪の世の中、相変らず澆季の時代だ。釈迦でも孔子でもない小さな人間が、いか程躍起になって騒いでも、それが世に聞かれよう筈がないのは初めから解りきった話だ。解りきった話だから、自分は今日まで一度も宗教家や道徳家や教育家なぞになりたいという考えを起した事はない。
 自分はこの頃その感情と境遇の矛盾に立って、それから生ずる不安の念をどうして静むべきものかを頻りに思い悩んでいる。
 ここに世の中の凡ての事を軽く視てその成り行きに任すと云う極めて不真面目な態度がある。そう物事を生真面目に堅苦しく生野暮に考えても駄目だ。物事はなるようにしかなら無いと云う、つまり動揺に甘じ朦朧不定不確実に安心する消極的の自暴自棄である。時代と群集に対して個人の意志人格の力を極めて小さなものと諦め、しかもそれ…

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