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一九三一年度極東ビヂテリアン大会見聞録
せんきゅうひゃくさんじゅういちねんどきょくとうビジテリアンたいかいけんぶんろく |
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作品ID | 60685 |
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著者 | 宮沢 賢治 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「【新】校本宮澤賢治全集 第十巻 童話Ⅲ 本文篇」 筑摩書房 1995(平成7)年9月25日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | officeshema |
公開 / 更新 | 2021-09-21 / 2022-05-12 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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去る九月四日、花巻温泉で第十七回極東ビジテリアン大会が行はれた。これは世界の食糧問題に対する相当の陰謀をも含むもので昔は極めて秘密に開催されたものであるさうであるが今年は公開こそはしなかったが別にかくしもしなかったやうだ。
たぶんそれは世界革命の陰謀などにくらべると余りこどもじみたものなので誰もびっくりしないためであったらうと思はれる。
その代りその会合たるや極めて古典的で当時温泉に浴してこれを見聞した筆者の無為を慰すること甚大であった。
元来ご承知のごとくビヂテリアンといふのは動物質のものを食べないといふ考のものの団結であり、日本では菜食主義者と訳するけれども主義者といふよりは、〔〕むしろ菜食信者といふ方が、よく実際に適ってゐるとも思はれる。
そ〔〕の中にはいろいろ派があるやうであるが、大体そのテーゼについて大きくわけると、同情派と予防派との二つになるらしい。
同情派と云ふのは、恰度仏教の中でのやうに、あらゆる動物はみな生命を惜むこと、我々と少しも変りはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪って食べるそれも一日に一つどころではなく、百や千や万の〔〕こともある、これを何とも思はないでゐるのは全く我々の考が足らないのでよくよく喰べられる方になって考へて見ると、とてもかあいさうでそんなことはできないとかう云ふ思想をもつものであり予防派の方はじぶんの病気予防のために、なるべく動物質をたべないといふのであくまで利己的な連中の集りである。
ところがこれをテーゼによらずact―の方法から分類すると、三つになる。第一は絶対派ともいふべく動物質のものは全く喰べてはいけないと、獣や魚やすべて肉類はもちろんミルクや、またそれからこしらえたチーズやバター、菓子の中でも鶏卵の入ったカステーラなど、一切いけないといふ考の人たち、日本ならばまあ、一寸鰹のだしの入ったものもいけないといふ考のであり第二は折〔衷〕派とも〔数文字分空白〕チーズやバターやミルク、それから卵などならば、さし支へない、といふ、割合温健な考である。ところが第三は大乗派ともいふべくいくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしてゐると云ったところで、そのため誰かゞもっと迷惑してゐては、何にもならない、結局はほかの動物がかあいさうだからたべないのだ、もしある動物がほかのたくさんの動物の敵であるときはそれは食ってもいゝといふことになってゐて、今までの調査では鰯を食ふ鯨、猛禽類則ち鷹、ふくらふみゝづく、それからどぜうをたべる鷺のごときもの殊に所謂益鳥といはれてゐるものは〔悉〕く沢山の虫類を食ふことを特徴としてゐるから差支えなく魚でも、鮎のごときは硅藻をたべてゐるのでじつに可哀さうなものであり鰻や鯉のごときはその鮎をはじめとしてあらゆる川中の小魚を食ふから断じてとって食っていゝといふのである。肉食獣則ち…