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未見の人
みけんのひと
作品ID60691
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第一卷」 福武書店
1983(昭和58)年4月30日
初出「文章世界 第四巻第一号」1909(明治42)年1月15日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者najuful
公開 / 更新2025-10-28 / 2025-10-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 或る日私は急な相談事があつて、友人末永を訪ねた。例の通り案内をも乞はず、庭木戸から聲を掛けて座敷の障子を開けると、彼れの細君や母や妹やが一所になつて、腹を抱へて笑つてゐる。私は相變らず氣樂な家庭だと、少し呆れ氣味で、
「どうしたんだい。」と、座敷に突立つたまゝ、皆んなを見廻した。すると末永は一人笑ひを止め、
「何でもないんさ、今武部といふ男が來てね、變な眞似をして行つたもんだから。」
「武部?……聞いたことのあるやうな名だが。」と、私は首を傾げて考へて、「さうだ/\、何かの折に河野が話してたが、一種猛烈な社會主義染みた事を云つてる男ぢやさうぢやないか。そして何處へ行つても長く勤まらんさうぢやないか。」
「君は此家で會つたことはなかつたかね、よく來る男だが。」
「いゝや知らんよ。」
「さうかねえ、君とは全で肌合ひの違つた男だよ、顏にも特色があつて、一度見たら忘れられん顏立ちだ。額が出て目が凹んでゝ、あまり人相がよくない。」
「私、あの方があんな眞似をなさらうとは思はなかつたわ。」と、細君は漸く笑ひを收めたが、名殘りはまだ口元に漂うてゐる。
「どんな眞似をしたんです。」と、私は問うた。
「どんなつて、貴下、何時も苦蟲噛み潰したやうな顏をして、六ヶ敷理窟ばかり云つてる方が、今日はどうしたんだか、お酒も召し上らないのに、犬の遠吠えの眞似だの鷄の眞似だのなさるんですもの。」
「四つ這ひになつて、あの長い首を振つた樣子たら、本當に何ていふんでせう。」と、妹は細君を見て、又二人で笑ひ出した。
「さう云へば、あの人も樣子が變だよ、此頃は。」と、母は尤もらしく云つて、矢張り目にも口にも微笑を帶びてゐる。
 私も一座の笑ひに引き込まれて、ツイ笑つたが、その實可笑しくも何ともなかつた。で、人々の注意は目の前にゐる私よりも、既に歸つた後の武部に向つてゐるので、私は眞面目な相談事を持ち出す機會がなく、
「ぢや餘程變だつたんだね。」と、詮方なしの相槌を打つて、「その武部は今何をしてるんだ。」と、問ひたくないことを問うた。
「相變らずの無職業で、氣の毒は氣の毒だがね。しかしあれも貧乏馴れてるから、さうヤキモキしてもゐない。外で思つてるほど苦にもならんのだらう。」と、末永は胡坐を掻いて、髯を捻りながら、片膝で貧乏搖ぎして「武部は一寸英語が出來て、會話も巧いんだから、通辯でもやるといゝんだが、どうも人間が片意地だからいかん。僕はあの男とは子供の時からの友達で、よく氣風を知つてるんだが、何時まで立つても直らんよ。」と云ふ。
「昔からあんな方なんですか、貧乏ばかりして。」と、細君が可愛らしい目を更に可愛らしくして問ふ。
「なあに武部も相當の家に生れて、學資だつて人並に遣つて學問したんだが、氣風があゝだからね、つまり死學問さ。」と、末永は仔細らしく眞顏になつて、
「僕等が小學校の卒業間際だつたら…

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