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作品ID | 60709 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「花火・来訪者 他十一篇」 岩波文庫、岩波書店 2019(令和元)年6月14日 |
入力者 | 入江幹夫 |
校正者 | ムィシュカ |
公開 / 更新 | 2024-12-03 / 2024-12-03 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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一 家尊来青山人世に在せし頃よりいかなる故にや我家にては嘗て松のかざりせし事なし。雑[#挿絵]餅乾[#挿絵]数ノ子なんぞ正月の仕度とてただ召使ふものゝ為にしつらへ置くのみにて家内の我等はただ形ばかり箸取るなりけり。大正改元の歳雪中に尽きて新春の第二日父失せ給ひければそれよりして我家にはいよ/\新玉の春らしき春といふもの来らずなりぬ。
一 われ今世の交全く絶果てし身なり。門扉常に掩うて開く事甚稀なり。春めかぬ寂しき正月も久しきならはしとなれば更に怪しき心地もせず。年改りぬと知れば独り静に若水汲み来りてまづ先考遺愛の古硯を洗ひ香を焚き燭を点じてその詩を祭り、後おもむろに雑司ヶ谷の墓に詣づるのみ、無為無能の身の正月更に無為なるこそ哀れなれ。
一 墓に詣る折には必ず蝋梅両三枝を携へ行きて捧ぐ。蝋梅は蘇東坡好む処の花なりとか。先考深く東坡の詩を愛し後園に蝋梅両株を植ゑ、年年十二月十九日坡公の生日となれば、槐南石[#挿絵]裳川先生を始め檀欒会の諸詩星を請じ赤き蝋燭つけて祝ひたまひき。今槐南先生既になし石[#挿絵]先生また玉池の仙館を去つて遠く故山にかくれ給ひぬ。あゝ当年来青閣上の賓客恙なきもの幾人ぞや。
一 年々歳々人同じからざるに庭前の蝋梅冬至の節来れば幽香依然として馥郁たり。蕉枯れ楓葉枝を辞して庭上俄にあかるく、菊花山茶花共に憔悴して冬の庭は庭後庵が句に
石蕗八手ほかに花なし冬の庭
と吟じられたる寂しきおもむき示す頃ともなれば、蝋梅はそが枯痩の枝振り飽くまで支那めきたる枝頭に、蝋の如く黄き色したる花をつくるなり。われこの花に対する毎に不肖の身を省み不孝の罪を悔ゆる事浅からず。あゝ我が庭前の蝋梅、その花に精霊の宿る事あらば、希くば深くわが罪を咎むるなかれ。
一 丙辰の年は春秋かけて四時雨多かりければ果実甘からず秋草菊花共にその色妍ならざりき。殊に秋熱の甚しき近年にためしなく疫癘流行し彼岸過ぎて後なほ寐られぬ程の蒸暑き幾夜もありけり。されど何事も過ぎぬれば夢かな。冬至の頃より風なく暖き日のみ打ちつゞく程に恐しき疫病の噂も忽忘れ果て丙辰の年はいつにも増して穏に行きぬる如き心地せられぬ。
一 除夜百八の鐘声響き出づるを待ち、われ断腸亭の小さき床の間に過る年庭後庵が恵み給ひける
禾原忌や夜深く帰る雪の坂 庭後
の一軸。また先考の書斎来青閣の壁上にはその絶筆
園梅初放雪猶残 園梅 初めて放くも 雪 猶ほ残れり
樹下開尊欲酔難 樹下 尊を開いて 酔ひんと欲すれども難し
吹徹江頭風幾日 江頭を吹き徹る 風 幾日ぞ
可憐花与酒人寒 憐れむべし 花 酒人と与に寒きことを
の一幅を懸け香を焚きて後、銅瓶に蝋梅さゝんとて雨戸押開き雪洞つけて庭に出づれば、上弦の月低く屋角にあり。門外には往来の人の足音絶間なく破れし垣のかなたには隣家の燈火明く輝きて人の声すれど、…