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虫干
むしぼし
作品ID60710
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「花火・来訪者 他十一篇」 岩波文庫、岩波書店
2019(令和元)年6月14日
入力者入江幹夫
校正者ムィシュカ
公開 / 更新2024-07-13 / 2024-07-06
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 毎年一度の蟲干の日ほど、なつかしいものはない。
 家中で一番広い客座敷の椽先には、亡った人達の小袖や、年寄った母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、そのかげになって薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。
 色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様なぞは、鋭い樟脳の匂いと共に、自分に取っては年毎にいよいよなつかしく、過ぎ去った時代の風俗と流行とを語って聞せる。古い蔵書のさまざまな種類は、その折々の自分の趣味思想によって、自分の家にもこんな面白いものがあったのかと、忘れている自分の眼を驚かす。
 近頃になって父が頻と買込まれた支那や朝鮮の珍本は、自分の趣味智識とは余りに懸隔が烈し過ぎる。古い英語の経済学や万国史はさして珍しくもない。今年の蟲干の昼過ぎ、一番自分の眼を驚かし喜ばしたものは、明治の初年頃に出版された草双紙や錦絵やまたは漢文体の雑書であった。
 それ等は悉く自分がこの世に生れ落ちた当時の人情世態を語る尊い記録である。自分がまだ文字を知らない以前、記憶という能力のまだ充分に発育しない以前、自分の周囲の世界が、今では疾うに死んでしまった古老の口を通して、自分に囁き聞かした一切の事件や逸話は、一度びそれ等の書籍や絵画を見るにつけて、突如として遠い遠い記憶の中に呼び返される。自分は己れの身の上ばかりではない。自分を生んだ頃の父と母との若い華やかな時代はどんなであったかと云う事をも、ありありと眼に浮べる。丁度苔と落葉と土塊とに埋れてしまった古い碑文の面を、恐る恐る洗い清めながら、磨滅した文字の一ツ一ツを捜り出して行くような心持で、自分は先ず第一に、「東京新繁昌記」と云う漢文体の書籍を拾い読みした。
 今日では最早やこう云う文章を書くものは一人もあるまい。「東京新繁昌記」は自分がここに説明するまでもなく、静軒居士の「江戸繁昌記」柳北先生の「柳橋新誌」に摸って、正確な漢文をば、故意に破壊して日本化した結果、その文章は無論支那人にも分らず、また漢文の素養なき日本人にも読めない所謂鵺的な、一種変妙な形式を作り出すに至ったのである。この変妙な文体は今日の吾々に対しては、著作の内容よりも寧ろ一層多大の興味を覚えさせる。何故なれば、それは正確純粋な漢文の形式が漸次時代と共に日本化して来るに従って、もし漢文によって、浮世床や縁日や夕涼の如き市井の生活の写実を試みようとすれば、どうしても支那の史実を記録するような完全固有な形式を保たしめる事が出来ないという事を証明したものとも見られるし、また江戸以来勃興した戯作という日本語の写実文学の感化が邪道に陥った末世の漢文家を侵した一例と見ても差支えがないからである。
 自分は「東京新繁昌記」の奇妙な文体が、厳格なる学者を憤慨させる間違った処に、時代を再現させ…

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