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マスク
マスク
作品ID60714
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「菊池寛文學全集 第三巻」 文藝春秋新社
1960(昭和35)年05月20日
初出「改造」1920(大正9)年7月号
入力者卯月
校正者友理
公開 / 更新2021-12-26 / 2021-11-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 見かけだけは肥って居るので、他人からは非常に頑健に思われながら、その癖内臓と云う内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知って居た。
 ちょっとした坂を上っても、息切れがした。階段を上っても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されても、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあった。
 肺の方も余り強くはなかった。深呼吸をする積りで、息を吸いかけても、ある程度迄吸うと、すぐ胸苦しくなって来て、それ以上はどうしても吸えなかった。
 心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまった。内臓では、強いものは一つもなかった。その癖身体だけは、肥って居る。素人眼にはいつも頑健そうに見える。自分では内臓の弱いことを、万々承知して居ても、他人から、「丈夫そうだ/\。」と云われると、そう云われることから、一種ごまかしの自信を持ってしまう。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云われると自分でも「満更ではないのか。」と思い出すように。
 本当には弱いのであるが「丈夫そうに見える。」と云う事から来る、間違った健康上の自信でもあった時の方がまだ頼もしかった。
 が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医者に見て貰ったとき、その医者から、可なり烈しい幻滅を与えられてしまった。
 医者は、自分の脈を触って居たが、
「オヤ脈がありませんね。こんな筈はないんだが。」と、首を傾けながら、何かを聞き入るようにした。医者が、そう云うのも無理はなかった。自分の脈は、いつからと云うことなしに、微弱になってしまって居た。自分でじっと長い間抑えて居ても、あるかなきかの如く、ほのかに感ずるのに過ぎなかった。
 医者は、自分の手を抑えたまゝ一分間もじっと黙って居た後、
「あゝ、ある事はありますがね。珍しく弱いですね。今まで、心臓に就いて、医者に何か云われたことはありませんか。」と、ちょっと真面目な表情をした。
「ありません。もっとも、二三年来医者に診て貰ったこともありませんが。」と、自分は答えた。
 医者は、黙って聴診器を、胸部に当てがった。ちょうどそこに隠されて居る自分の生命の秘密を、嗅ぎ出されるかのように思われて気持が悪かった。
 医者は、幾度も/\聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところのないように、探って居た。
「動悸が高ぶった時にでも見なければ、充分なことは分りませんが、どうも心臓の弁の併合が不完全なようです。」
「それは病気ですか。」と、自分は訊いて見た。
「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから、もう継ぎ足すこともどうすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね。」
「命に拘わるでしょうか。」自分は、オズ/\訊いて見た。
「いや、そうして生きて居られるのですから、大事にさえ…

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