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我鬼
がき
作品ID60722
著者菊池 寛
文字遣い新字旧仮名
底本 「菊池寛全集 第二巻」 高松市菊池寛記念館
1993(平成5)年12月10日
初出「新小説」1919(大正8)年3月号
入力者友理
校正者卯月
公開 / 更新2023-07-24 / 2023-07-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼は毎日電車に乗らぬ事はない。
 従つて、電車内の出来事に依つて、神経をいら/\させられたり、些細な事から、可なり大きい不快を買つたりする事は毎度の事だつた。殊に、切符の切り方の僅かな間違などから起る車掌との不快な交渉は、勝つても負けても嫌であつた。車掌が乗客から、威丈高に云ひ込められて、不快な感情を職業柄ぢつと抑制して居る所などを見ると、彼は心から、同情せずに居られなかつたが、さて、一旦自分と車掌との交渉になると、譬へ自分の理由が不利であつても、大人しく負けて居るのが、不快であつた。また、譬へ自分が絶対に負けた時にも、人間に付き纏ふ負け惜しみは、きつと相手を不快にするやうな捨台辞となつて、現はれずには居なかつた。兎に角、勝つても負けても不快だつた。日常生活の他の方面では、胸をクワツとさせるほど、憤慨したりする事の稀な彼も、電車の中ではよくさうした機会、或は夫に近い機会に出会す事が多かつた。
 もう一つ電車に乗る時に、厄介な問題は座席に就いてゞあつた。如何なる場合に席を譲るべきかと云ふ事は、毎日電車に乗る彼に取つては一寸した実際問題であつた。彼は、最初心の中で一定の標準を定めて置いて、夫に適合した人達には、直ちに席を譲る事にした。その標準の中には六十前後の老人とか、子供を背負つて居る人とか、外国婦人だとか、荷物を持つて居る人などが含まれて居た。が、さうした自分一人の内規を守つて、機械的に席を譲つて吊皮に掴まつて居ると、彼は席を譲つた事を後悔する事が、段々多くなつて来た。殊に勤先からの帰りなどで可なり疲労を感じて居る時などは、吊皮に掴まつて居る苦痛の方が大きくて、人に席を譲つたと云ふ快感で相殺する事が出来なかつた。さうした事が、度重なるに連れ、彼は自分自身の内規に囚はれて居る事が、段々馬鹿らしくなつた。それで此頃では、自分が本能的に席を譲りたいと思つた時、換言すれば、相手を見た時に、自然に立ち上れるやうな場合の外は、一切席を譲らない事にした。
 従つて彼は、此頃では心持よく腰を下して居る時などは、年寄に近い年輩の婦人などが入つて来ても、容易に席を譲らない場合が多くなつて来た。
 次の話も、矢張電車の中で、席を譲るか譲らぬかと云ふ事に就いて起つた出来事である。
 其時、彼は須田町から品川行きの電車に乗つて居た。尤も、須田町で乗つたのか、夫とも上野広小路辺で乗つたのか、ハツキリとは覚えて居ない。何でも最初、その電車に乗つた時、入口の所が馬鹿に混んで居た。まだ、勤務に就いてから、日が浅いと見える車掌が、声を枯らしながら乗客を中央部へ送るやうに促して居た。が、乗客はかうした場合に、普通であるやうに、平然と銘々その吊皮に、固着してしまつたやうに動かない。こんな時、彼は車掌の依頼に応じない乗客達に、面当として自分丈は、グン/\中央部へ突進するのが、好きであつた。尤も、さ…

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