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世に出る前後
よにでるぜんご
作品ID60741
著者菊池 寛
文字遣い新字旧仮名
底本 「菊池寛全集 補巻」 武蔵野書房
1999(平成11)年2月10日
初出「雄辯」大日本雄辯會講談社、1934(昭和9)年10月
入力者友理
校正者hitsuji
公開 / 更新2022-12-26 / 2022-11-26
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「雄辯」から、僕の自叙伝を求められたが、僕には既に「文藝春秋」に半歳に亙つて連載され、其後、平凡社から出た、僕の全集の中に収録されてゐる「半自叙伝」がある。
 僕は其の「半自叙伝」の書き出しに、「自分は自叙伝など、少しも書きたくない」と断り書をしてゐるが、この気持は今でも変りはない。
 事実、自分の半生には書くだけの波瀾も事件もないのである。僕は他の人に比べて、具象的な記憶に乏しい。たゞ「文藝春秋」に載せた時は、「文藝春秋」に何かもう少し書きたいため、自叙伝的なものでも書いて見ようかと思つたのである。
 だから今度も、少年時代からの出来事を時代順に記述などはしない。比較的記憶に残つてゐて思ひ出すことを書いて見ようと思ふ。
 僕は大正五年の七月に京都大学を出た。当時二十九歳であつた。普通だつたら二十四歳か二十五歳で出るところを、高等小学校を四年まで行つたのと、高等師範には入つたため二年損したので、都合四年遅れたのである。
 大学を出て、上京して間もなく、久米と本郷通を歩いてゐたとき、久米は、「君はよく大学を出られたな」と云つた。それは、まさに至言である。一寸でも間違へば、どうなつて居たか分らないのである。
 官立の学校を二度も、出されるなどと云ふ事は、普通の人には出来ないことだらう。しかも、二度とも決して出なければいけないと云ふやうな事情があつたのではない。
 たゞ青年客気感情の奔走するまゝに出たのである。
 然も家に余裕のある学資で学問してゐるのではない。血の涙が出るやうな学資を使ひながら、出鱈目をやつたわけである。
 たゞ、父母が僕を盲信すること深かつたのと、一高時代の同窓成瀬正一の父君の知遇と、僕自身自分の頭を信じてゐたのと、相俟つて、険難な学生時代を、どうにか切りぬけて、文学士になれたわけなのである。
 僕は作家になつてから、生活的に非常に堅実なやうに云はれてゐるが、青年時代は奔放激情の青年であつたと云はざるを得ないのである。
 たゞかう云ふ失敗にこりて、学校を出て以来は堅実に生活して来たことは事実である。
 茲でいさゝか教訓めいたことをのべるならば、中学時代にいゝ成績をとつて置くと、自分自身自信を持ち得ることで、これは生涯を通じて、得になることだと僕は思ふ。
 一高を出されて京都大学に入学当時の模様は、「無名作家の日記」にほゞ出てゐる。
 京都へ行つた最初の年、芥川、久米、松岡、成瀬が第三次「新思潮」をやることになつたので、京都にゐる僕も同人にしてくれた。これは、彼等の友情で、僕は京都にゐたのだから、除者にされても仕方がなかつたのである。
 この時同人になつてゐなかつたら、この次ぎの「新思潮」にも同人になれず、結局僕は文壇に出る機運に接しなかつたと思ふ。僕は、どこにゐても機鋒を現して文壇に出られる程才能があるとは思へない。
 もう少し僕が几帳面な男だ…

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