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現代語訳 平家物語
げんだいごやく へいけものがたり |
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作品ID | 60756 |
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副題 | 01 第一巻 01 だいいっかん |
著者 | 作者不詳 Ⓦ |
翻訳者 | 尾崎 士郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「現代語訳 平家物語(上)」 岩波現代文庫、岩波書店 2015(平成27)年4月16日第1刷 |
初出 | 「世界名作全集 39 平家物語」平凡社、1960(昭和35)年2月12日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | みきた |
公開 / 更新 | 2022-01-02 / 2021-12-27 |
長さの目安 | 約 52 ページ(500字/頁で計算) |
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[#ページの左右中央]
序詞(祇園精舎)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。猛きものもついにはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
[#改ページ]
第一巻
二十余年の長きにわたって、その権勢をほしいままにし、「平家に非ざるは人に非ず」とまで豪語した平氏も元はといえば、微力な一地方の豪族に過ぎなかった。
その系譜をたずねると、先ず遠くさかのぼって桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王という人物が、その先祖にあたるらしい。
葛原親王の孫にあたる、高望王は、藤原氏の専制に厭気がさし、無位無官のまま空しく世を去った父の真似はしたくないといって、臣籍に降下し、中央の乱脈な政治を見限って、専ら、地方で武芸をみがいてきた。その子良望から正盛まで六代、諸国の受領として、私腹を肥やす傍ら、武門の名を次第に轟かしていったのである。
正盛は、白河法皇に仕えて、信任を得、その子忠盛は、鳥羽院に取入って、それぞれ、徐々に勢力を拡張していった。といっても、たかだか、受領職にある身では、とても昇殿を許されるというところまではいかない。当時にあっては、昇殿を許され殿上人と親しく交わることが、及びもつかない栄誉であったから、この律義で賢い田舎武士、忠盛の心に昇殿を望む気持が頭をもたげてきたのは当然のはなしである。
殿上の闇討
昔の権力者は、地位が安定してくるとやたらに、お寺とか、お墓とかを建てる習慣があったらしい。人力では及びのつかない、神仏の加護を借りて、権力の座にいつまでも止まることを願うという心理にもとづくものである。鳥羽院もかねがね三十三間の御堂を建てたがっていた。これが忠盛の尽力で完成したときは、大へんな喜びようだったといわれる。そのとき備前守だった忠盛は、但馬国の国司に任ぜられ、その上、あんなに待ち望んでいた昇殿を始めて許された。時に忠盛は、三十六歳の男盛り、その感激は又ひとしおであった。
ところが、ここに意外なところから、反対運動がもりあがってきた。それは、今まで、さしたるライバルもなく、呑気にあてがい扶持に満足していた公卿たちである。
「どうもあの男は、唯のネズミではない、今の内に始末しておかないと、とんだことになるぞ」鷹揚な公卿の中にも、敏感に頭の働く男がいたようである。
それが、事のはじまりで、天承元年の十一月二十三日、豊明の節会の繁雑さにまぎれて、やっつけてしまおうという計画がいつかできあがってしまった。
一方忠盛の方も面白くない胸の内を、お世辞笑いにまぎらしている公卿の気持が手に取るように判るから、こいつは今に何か面倒なことがあるなと思っていた。ともかく計画というものは、大方、どこからか情報がもれてくるものだが、恐らくは、忠盛ほどの男だから…