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訳詩集「月下の一群」
やくししゅう「げっかのいちぐん」
作品ID60759
副題その著者堀口大学に与ふ
そのちょしゃほりぐちだいがくにあたう
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆36 読」 作品社
1985(昭和60)年10月25日
初出「東京朝日新聞」1925(大正14)年10月11日
入力者hitsuji
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2022-03-15 / 2022-02-25
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 第一に僕は感謝しなければならぬ。君のこの立派な仕事が僕におくられてある事を。自ら省みて過分なやうな気がする。それから次に報告しなければならぬ。僕が君のまことの友であつたのが、今はつきりした事を。そのわけはもしこの美しい――内容外形ともに、美しい堂々たる書物が、君の手によつて出来たのでなかつたら、僕はきつとその著者に、多少のねたみを感ずるに違ひない。しかも僕には今、唯よろこびがあるだけだ。思ひ見よ。これが僕の君に対する友情のしるしでなくて何だ。して見れば僕はやつぱり、君にこの書物をおくられてもよいらしい。
 それにしても、君の序文の一くさりは、僕を悲しくする。「後世あるひは、語に明かに詩にあつき、高雅な閑人があつて、原作と対比してこの集を読んでくれるかも知れぬ。彼の温情ある賞讚の微笑を、私は地下に感ずるであらうか」これ等の自尊に満ちた言葉を見るにつけて、僕は今更にこの詩集の原語の言葉を知らない事を歎ずるのだ。僕は詩にあつき高雅な閑人だと自信してゐる。もしたつた一つの条件にさへ欠けてゐなかつたなら、僕は必ずや「温情ある賞讚の微笑」を現にこの地上で、君に感じさせることが出来たであらうに!
 僕はこの本に就て、それ故にかへすがへすも情けないが、批評する資格がない。それでも昨日の朝、性急に小包の封を切つて以後今夜まで、僕はこの本を見つづけてゐるといふ事実を述べることが出来る。これらの詩篇をそれぞれに、君が発表した第一の機会に、あるひはまた君の原稿でさへも見覚えた――即ち一度、或は二度も知つてゐる。然もこれらの文字は、僕には新秋のやうにいつも珍しいと見える。
 僕はまた感ずる。たとひ君のやうな高雅な閑人にしても、絶好の状態においての十年といふ閑散がなかつたならば、六十六家、三百有四十篇といふこのやうな[#「このやうな」は底本では「このような」]豊富な訳詩は絶対にあり得なかつたであらう。君は天に感謝しなければならない。さうして僕たちも。君はのらりくらりと遊び暮して、心のままに摘むうちに、ついすばらしい花束をつくりあげてゐたのだよ。君はしかも、事もなげにやつつけた。しかも心にくいまでにさまざまな格調によつて。君の仕事のなかには、何の苦渋のあとさへもない。苦心といふ骨格は、思ふままに発育した肉体のなかにつつみ込まれた。しかも奔放にさへ見える。有難いことだ。こせこせといぢけさせてしまつて、盆栽化した訳詩を、僕はもう見あきてゐたのだよ。(――消え去れ!「海潮音」の今になつて役にたたずな余韻よ)それらの植木師は枝ぶりばかり気にして、到頭枯らしてしまつた。しかも君がうつし植ゑたものは、手もなくそこに投げ出されて、不思議や、めでたや、ぽつかりと花がさいてゐるではないか。就中、アポリネエルやサルモンやラジゲやコクトオや。これは君自身が「針金細工で詩をつくる」術を知つてゐる詩人だからだ。…

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